山本譲二の波乱万丈な人生!演歌歌手としての成功と家族との絆とは?演歌界のレジェンドが語る!
演歌界のベテラン、山本譲二。苦労人時代を支えた妻・悦子との愛、愛娘たちの成長、そして病との闘い。ヒット曲「みちのくひとり旅」誕生秘話から、家族への深い愛情まで、波乱万丈の人生を凝縮!
💡 演歌歌手として成功を収めた山本譲二の歩み
💡 師匠との出会い、そして運命の出会い
💡 家族への愛情と夢
では、山本譲二さんの壮絶な人生を、5つの章に分けてご紹介していきます。
演歌歌手としての山本譲二の歩み
山本譲二、大ヒット曲『みちのくひとり旅』は何作目?
4作目のシングルで大ヒット!
山本譲二さんの演歌の世界、ぜひ皆さんも感じてみてください。
公開日:2023/06/12

✅ 山本譲二さんは、山口県下関市出身の演歌歌手で、高校時代には甲子園に出場するなど野球に打ち込んでいました。
✅ 高校卒業後は進学せず水産加工会社の関連会社に就職しましたが、歌手になる夢を諦めきれず上京。
✅ デビュー後も苦労が続きましたが、「みちのくひとり旅」の大ヒットでブレイクし、現在は人気演歌歌手として活躍しています。
さらに読む ⇒キニナルことなんでもドットコム出典/画像元: https://mo-mo-town.com/?p=143335高校時代は甲子園を目指していたんですね。
夢を諦めずに努力し続ける姿に感動しました。
山本譲二は、1950年2月1日生まれの山口県下関市出身の演歌歌手です。
高校卒業後、地元企業に就職しますが、歌手になる夢を諦めきれず、上京します。
上京後は様々な職を転々とし、キャバレーのボーイ時代に肝臓を壊して帰郷しますが、母親の言葉に励まされ、再び上京。
弾き語りの流しの仕事をしていた際に作曲家の浜圭介さんと出会い、芸能界入りしました。
1974年7月に『夜霧のあなた』で歌手デビューしますが、鳴かず飛ばずで、1976年7月に本名の山本譲二で『そばにおいでよ』を発売し再デビューしますが、やはりヒットには至りませんでした。
1980年8月に4作目のシングル『みちのくひとり旅』をリリースし、翌年にフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』に出演したことで大ヒットとなりました。
おー、高校時代は野球部やったとですか!自分も高校時代は野球部やったけん、わかるわー。
師匠との出会い、そして運命の出会い
山本譲二を支えた女性は?馴れ初めは?
植木悦子。新宿での弾き語り中に知り合う。
歌手の道は厳しいですが、山本譲二さんは諦めずに努力し続けました。
公開日:2020/08/31

✅ 山本譲二さんと植木悦子さんの馴れ初めは、山本譲二さんが新宿で弾き語りをしていた頃に、ディレクターの紹介で出会ったことでした。
✅ 植木悦子さんは山本譲二さんの不遇の時代に励まし、献身的に支え、山本譲二さんは彼女に感謝し、愛情を抱くようになりました。
✅ 2人は9年間の交際を経て、1986年に結婚しました。山本譲二さんは結婚発表の際に、植木悦子さんのことを「素晴らしい友達であり恋人」と語り、彼女への深い愛情を表明しました。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://gossip-history.com/g01317/植木悦子さんと出会って、山本譲二さんの人生は大きく変わったんですね。
山本譲二さんは、北島三郎さんの弟子入りを志願し、10日間の猛アタックの末に弟子入りを果たしました。
山本譲二さんと植木悦子さんの馴れ初めは、山本譲二さんが不遇の時代、新宿で弾き語りをしていた際に赤坂のスタジオで出会ったことです。
植木悦子さんは山本譲二さんのことを励まし、献身的に支え、山本譲二さんは彼女の存在に感謝していました。
その後、山本譲二さんは「みちのくひとり旅」の大ヒットでスターダムにのし上がりますが、植木悦子さんと結婚するまで、スキャンダルらしいものはなく、9年間交際を続けました。
1986年に結婚を発表した際、山本譲二さんの母親は「さすがは俺の子だなぁ、俺も40年お前と連れ添ってるけど、譲二も9年間も1人の女を愛し続けたか、さすが俺の子だ」と語っており、結婚を喜んでいました。
あら、9年間も付き合ったの?長い年月を経て結婚したのね。素晴らしいわね。
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山本譲二さんの家族愛に迫る!娘2人、妻・悦子さんの支え、そして病との闘い。感動秘話満載!