オウム真理教の『尊師マーチ』って知ってる?麻原彰晃の狂気に迫る!!
💡 オウム真理教は、麻原彰晃を教祖とする宗教団体です。
💡 1995年の地下鉄サリン事件など、数々の凶悪事件を起こし、社会に大きな衝撃を与えました。
💡 現在は後継団体が活動し、公安調査庁が監視を続けています。
それでは、オウム真理教の誕生から、事件に至るまでを詳しく解説してまいります。
オウム真理教の誕生と初期の犯罪
オウム真理教は、宗教団体という仮面を被った犯罪集団だったと言えるでしょう。
✅ オウム真理教は、松本智津夫への絶対的帰依を強調する主流派と、松本との決別を強調する上祐史浩派に分裂しました。主流派は「原点回帰」路線を推し進め、松本への帰依を強め、上祐派は松本色の希薄化を図るものとみられます。
✅ 教団は15都道府県に29か所の拠点を持ち、信者数は約1,500人と推定されます。両派ともインターネットやヨガサークルを通じて信者獲得を目指し、組織拡大を図っています。
✅ 警察は、地下鉄サリン事件以降、教団関係者500人以上を検挙しましたが、平田信、高橋克也、菊地直子の3人は依然逃走中です。警察は彼らの発見検挙を最優先課題とし、国民からの協力を得ながら捜査を推進しています。また、教団信者による組織的違法行為に対する取締りを強化しており、19年には詐欺事件などで4人を検挙し、教団施設を捜索して関係資料を押収しました。
さらに読む ⇒警察庁Webサイト出典/画像元: https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten276/P22-P23.html信者を洗脳する恐ろしさを感じますね。
1984年に「オウム神仙の会」として発足したオウム真理教は、創設者である麻原彰晃こと松本智津夫が、早い時期から戦いによって自分の王国を作ることを夢見ていたとされています。1985年にはオカルト雑誌で「神軍を率いる光の命」になるよう神託を受けたことを記し、1987年には殺人を容認する説法を行い、同年7月に団体名を「オウム真理教」に変更しました。当初、弟子たちは殺人を容認する説法を修行の厳しさの比喩と捉えていましたが、現実には殺人を犯す集団へと変貌していくのです。教団としての最初の犯罪は、1988年9月の道場での事件で、暴れた在家信者を出家信者が殺害し、遺体を焼却して遺棄しました。麻原は宗教法人認証の申請中だったため、事件が警察沙汰になると申請が通らないことを恐れ、信者の死亡を隠蔽しました。翌年には、最初の事件に関与した出家信者が脱会しようとしたため、麻原は信者たちに殺害を命じ、これが教団による最初の殺人となります。しかし、この事件は社会に知られることなく、教団は宗教法人認証を取得しました。
え、まじ!?怖すぎ!
うっわ、ほんまにヤバイな。
あら、世の中、善人ばかりじゃないのよ。
オウム真理教の凶悪事件と思想の謎
麻原彰晃の思想は、理解しがたいものがありますね。
公開日:2018/07/06
✅ 2018年7月6日、日本の法務省は、終末思想のカルト宗教「オウム真理教」の元代表、麻原彰晃(本名:松本智津夫)死刑囚を含む元教団幹部7人の死刑を執行しました。
✅ 執行されたのは、地下鉄サリン事件、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件など、一連のオウム真理教事件で死刑が確定していた13人のうち7人です。
✅ 死刑執行は、事件関係者全員の上告が終わるまで持ち越されていましたが、2018年1月に高橋克也受刑者の無期懲役が確定したことで、法務省は死刑執行の時期検討を本格化させたとみられます。
さらに読む ⇒BBC Home - Breaking News, World News, US News, Sports, Business, Innovation, Climate, Culture, Travel, Video & Audio出典/画像元: https://www.bbc.com/japanese/44733790死刑執行は当然だと思いますが、事件の真相解明は難しいですね。
オウム真理教は、1989年の坂本弁護士一家殺害事件、1993年のサリン工場建設開始、1994年の松本サリン事件、1995年の目黒公証役場事務長拉致事件、1995年の地下鉄サリン事件など、数々の凶悪事件を起こしました。1995年3月に教団は一斉捜索を受け、教祖の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚は同年5月に逮捕されました。その後、東京地裁は2004年に松本死刑囚に死刑判決を言い渡し、2018年7月に死刑が執行されました。これにより、オウム真理教事件はひとつの区切りを迎えました。麻原彰晃は裁判において、妄想の世界に逃げ込み、法制度による裁きを拒否したため、彼の思想や行動の真意を理解するのは困難です。しかし、麻原の思想のすべてを彼が理解していたかどうかは疑問視されます。オウム真理教は、ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人によって提唱された「霊性進化論」という思想潮流を背景に生まれた宗教団体の一つであり、霊性進化論は、物質文明から精神文明への大転換を予言するものでした。オウム真理教は、物質に囚われた人間を粛清し、神的人類によるユートピアを建設することを目指していました。オウム事件は、この最終目的を実現するための布石として行われたものであり、思想犯と呼ぶべきものです。しかし、日本の現行法では思想そのものの罪を問うことができないため、オウム事件の裁判は、思想の理非を問うことができず、事件の本質に触れることができていません。歴史的には、社会を脅かす恐れのある思想に対しては、何らかの制裁が加えられてきたことを考えると、日本の法制度における思想の自由は例外的な状況といえます。
わー、めっちゃ怖い!
怖いけど、興味深い話やな。
あら、あの世で反省してるかしら?
オウム真理教の後継団体と公安調査庁の監視
後継団体も監視が必要ですね。
✅ オウム真理教の後継団体である「アレフ」など3団体は、昨年80人以上の新規入会者を獲得し、特に中部地方で多く、勧誘活動が活発化しています。
✅ コロナ禍の影響で勧誘手法も変化し、SNSなどの非対面型に移行しており、友人づくりなどを口実に、教団の教えを徐々に植え付けているとみられています。
✅ 公安調査庁は、アレフなどの活動実態を把握するため、立ち入り検査を強化しており、アレフの不透明な活動や資産隠しの疑いについて監視を強めています。
さらに読む ⇒独自】オウム後継団体「アレフ」コロナ禍の勧誘広がる SNS駆使し「80人以上」が入会 地下鉄サリン27年:東京新聞 TOKYO Web出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/166782現代社会においても、カルト宗教は根強く存在するようですね。
現在、オウム真理教は主流派(「Aleph(アレフ)」、「山田らの集団」)と上祐派(「ひかりの輪」)を中心として活動しています。「Aleph(アレフ)」は、麻原の死刑執行後も、麻原への絶対的帰依を徹底し、組織拡大に向けた動きが活発です。小・中学生を含む未成年者に対しても子供用教材等を用いた指導を実施し、団体名を秘匿した勧誘活動を行っています。「山田らの集団」は、「Aleph(アレフ)」から一定の距離を置いて活動していますが、麻原への絶対的帰依を徹底しています。「ひかりの輪」は、麻原隠しを徹底し、観察処分を免れるため、麻原色を払拭したかのように装う別団体として設立されました。現在も「思想哲学の学習教室」と称して活動する一方で、麻原を投影した仏画を施設内に掲示し続けるなど、依然として麻原の影響下にあります。公安調査庁は、団体規制法に基づき、観察処分を実施しており、令和6年1月には、観察処分の期間を3年間更新しました。また、再発防止処分も課されており、令和5年3月以降、「Aleph」に再発防止処分が課されています。公安調査庁は、今後も団体規制法に基づく調査や規制措置を適正かつ厳格に実施することで、団体の活動実態を明らかにし、公共の安全の確保に貢献していくとしています。
うわー、まじで?やめてくれ!
怖い話やけど、気をつけなあかんね。
あら、人間なんて、いつまでも変われないものよ。
オウム真理教の楽曲「麻原彰晃マーチ」
麻原彰晃マーチは、当時の社会状況を表す象徴的な楽曲です。
✅ 1990年代半ばのオウム真理教による一連の凶悪事件は、音楽を用いた宣伝活動などを通じて社会に大きな影響を与え、平成の時代相を決定付けた。
✅ 1994年の羽田内閣崩壊と村山連立内閣成立、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、阪神・淡路大震災など、平成6年から7年にかけて日本社会は激動の時代を迎えた。
✅ 阪神・淡路大震災では、自衛隊の出動遅れなど、戦後の日本ではじめてリアルな危機対応が求められる事態が生じた。
さらに読む ⇒NEWSポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20170714_581057.html?DETAIL楽曲の力って、本当にすごいんですね。
麻原彰晃マーチは、オウム真理教の楽曲で、「♪彰晃彰晃しょこしょこ彰晃」というフレーズが有名です。1990年の衆議院選挙に麻原彰晃が真理党の候補として出馬した際に作られました。歌詞の内容は、麻原彰晃を称賛し、彼の政治活動を支援するものです。この曲は、オウム真理教が注目されていた当時、テレビなどで頻繁に取り上げられ、オウムソングの中でも比較的知名度が高いです。麻原彰晃マーチは、教団内部向けに改訂された「新・麻原彰晃マーチ」と、さらに改訂された「尊師マーチ」が存在します。「新・麻原彰晃マーチ」では、歌詞がより教団内部向けのメッセージに変わっています。「尊師マーチ」では、麻原彰晃を「尊師」と呼び、彼の神格化がより強調されています。
え、まじ!?どんな曲なん?
そんな曲あったん?知らんかった。
あら、あの頃は、世の中が騒がしかったのよ。
オウム真理教事件のその後と「尊師マーチ」の影響
オウム真理教の音楽活動は、興味深いですね。
公開日:2018/07/07
✅ 1990年代中盤、オウム真理教はロシア人音楽家を集め、キーレーンという交響楽団を編成し、日本で公演を行いました。
✅ オウム真理教の教祖である麻原彰晃は、自身で作曲したと主張していましたが、実際には東京音大出身の信者であるカッサパが、麻原が口ずさんだメロディを交響曲や交響詩に編曲していました。
✅ 麻原彰晃が音楽を作曲したことは、宗教において教祖が音楽を作るという伝統的な行為であり、後の佐村河内守事件にも通じるものがあると考えられます。
さらに読む ⇒プレジデントオンライン出典/画像元: https://president.jp/articles/-/25604?page=1音楽を通して、教団の思想が伝わっていくのは恐ろしいですね。
1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件から23年後の2018年、オウム真理教の死刑囚13人の死刑が執行されました。ジャーナリストの江川紹子氏は、教祖である麻原彰晃の死刑執行は当然としながらも、弟子たちの同時または間を置かない執行には疑問を呈しています。弟子の中には、麻原を盲信した自分を反省し、深い悔悟の念を抱いている者もいたため、彼らの死刑執行よりも、教団事件を繰り返さないための生きた教材として活用する道もあったのではないかと考えています。「尊師マーチ」は、オウム真理教の創設者である麻原彰晃を称える楽曲で、明るく軽快なメロディーが特徴です。元々は、1990年の衆議院選挙に出馬した真理党のPRソングとして制作されたもので、麻原彰晃の政策や選挙区名を歌詞に含んでいました。その後、宗教歌として歌詞が改められ、「彰晃」の部分は「尊師」に変更されました。この曲は、1995年の地下鉄サリン事件後、メディアで頻繁に報道され、その特徴的なメロディーは社会に大きな影響を与えました。小学生が教室で演奏したり、野球選手が口ずさんだりするなど、社会現象ともなったのです。オウム真理教は、この曲をカセットテープで販売していたこともありました。
えー、まじ!?音楽も作ってたん?
音楽って、やっぱりすごい力を持っとるんやな。
あら、音楽って、人を狂わせる力もあるのよ。
オウム真理教事件は、私たちに深い教訓を与えてくれる出来事です。
💡 オウム真理教は、宗教の闇と、人間の心の脆さを私たちに見せつけました。
💡 後継団体の活動には、依然として警戒が必要です。
💡 事件から得た教訓を忘れずに、社会全体でカルト宗教への対策を強化していく必要があります。