『スター誕生!』から生まれたアイドルたち?その歴史とは!?
1971年、伝説のオーディション番組「スター誕生!」が幕を開けた!森昌子、山口百恵ら、数々のスターを輩出し、アイドル全盛期を築いた。萩本欽一、都倉俊一らが語る番組の裏側、日テレと渡辺プロの確執、そして「花の中3トリオ」誕生秘話とは?
💡 「スター誕生!」は、日本テレビで放送された伝説的なオーディション番組です。
💡 1971年から1983年まで12年間放送され、数々のスターを生み出しました。
💡 番組は、当時人気絶頂だった歌謡曲シーンに大きな影響を与えました。
それでは、第一章、番組の誕生と初期の成功について解説してまいります。
「スター誕生!」の誕生と初期の成功
「スター誕生!」大成功の秘訣は何?
公平な選考と、森昌子のヒット!
「スター誕生!」は、まさに時代の象徴でしたね。

✅ 1971年~1983年にかけて放送された「スター誕生!」の番組内容をCDとDVDでまとめたコレクターズアイテムが発売されました。
✅ CDには「スター誕生!」から誕生した88組のアーティストのデビューシングルが5枚に収録されており、DVDには番組の決戦大会の名シーンや秘蔵映像が5枚に収録されています。
✅ 初回生産分には「500回記念パンフレット」の復刻版も付属しており、アイドルや歌謡曲ファン必携のコレクターズアイテムとなっています。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://tower.jp/article/feature_item/2011/01/21/74444当時のアイドルブームを考えると、このコレクターズアイテムは貴重ですね。
1971年10月3日、テレビ史に残るオーディション番組「スター誕生!」がスタートしました。
当時、テレビは娯楽の中心となり、テレビマンたちは自分たちの手でスターを作りたいという思いからこの番組を企画しました。
「スター誕生!」は、誰でも応募できる公平・透明な選考システムとテレビ局によるきめ細かいバックアップ体制を採用していました。
審査では、厳しいコメントが飛び交い、決戦大会では入札制度により、プロダクションやレコード会社が気に入った出場者にプラカードを上げるシステムが導入されました。
番組開始当初は低視聴率に苦戦していましたが、萩本欽一の「欽ちゃんコーナー」の人気に加え、第1回決戦大会でデビューした森昌子の「せんせい」の大ヒットにより、視聴率が上昇。
10代のアイドル歌手の供給源となり、番組は成功を収めました。
懐かしいねー、俺も子供の頃よく見てたよ。
スター誕生!から生まれたアイドルたち
「スター誕生!」、伝説のアイドルは誰から?
森昌子、桜田淳子、山口百恵!
「スター誕生!」は、アイドルの登竜門と言われるほど、多くのスターを生み出しました。

✅ 1971年に「スター誕生!」でデビューした森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人は、番組プロデューサーの故・池田文雄さんから「花の中3トリオ」と名付けられ、共に人気を博しました。
✅ 3人はそれぞれ歌手、女優として活躍し、森は演歌歌手として、桜田は女優として、山口は結婚を機に芸能界を引退しました。
✅ 3人はそれぞれ異なる道を歩んできましたが、デビュー当時からの絆は深く、再会を願う声も少なくありません。
さらに読む ⇒週刊女性出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/28057?display=b3人の活躍は、まさにアイドル黄金時代を感じさせますね。
「スター誕生!」は、アイドル全盛期を築いたオーディション番組として、数々のスターを生み出しました。
第1回大会の優勝者は森昌子(13歳)で、都はるみの「涙の連絡船」を歌いました。
第4回大会の優勝者は桜田淳子で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、25社からスカウトされました。
第5回大会では山口百恵が牧場ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝し20社からスカウトされました。
森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人は「花の中3トリオ」と呼ばれ、大活躍しました。
番組から多くのアイドルが誕生し、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。
あら、懐かしいわね。百恵ちゃん、かわいかったわよね。
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伝説のオーディション番組「スター誕生!」裏側を解剖!渡辺プロとの確執、萩本欽一&都倉俊一が語る秘話。山口百恵、ピンク・レディー…スター誕生の瞬間を振り返る。