松井秀喜、ゴジラって呼ばれてたけど実際どうだったの?「ゴジラ」の由来とは!?
💡 松井秀喜選手は、星稜高校時代から「ゴジラ」と呼ばれていた。
💡 松井秀喜選手は、ヤンキースで活躍し、世界一に貢献した。
💡 松井秀喜選手は、現役引退後も野球教室を開催し、子どもたちに夢を届けている。
それでは、最初の章からご紹介していきます。
ゴジラ松井誕生秘話
では、早速ですが、ゴジラ松井誕生秘話について詳しく見ていきましょう。
✅ 愛媛県出身の元記者の福永美佐子さんが、星稜高校時代の松井秀喜選手に「ゴジラ」というニックネームをつけた経緯が語られています。
✅ 福永さんは、松井選手の体格や打撃の迫力から「怪物」「怪童」といったニックネームではかわいそうだと感じ、インパクトのあるニックネームを探していたそうです。
✅ 1992年の春の選抜大会で松井選手が2打席連続ホームランを放った際、福永さんは「ゴジラ君 連発!!」という見出しで記事を書き、このニックネームが全国に広まったとされています。
さらに読む ⇒愛媛新聞ONLINE出典/画像元: https://www.ehime-np.co.jp/article/news202208120012なかなかインパクトのあるニックネームですよね。
1992年の選抜大会で、星稜高校の松井秀喜選手は、練習中にスタンドにポンポンとボールを放り込む姿がスポーツ新聞記者の目に止まりました。その圧倒的なパワーとヒーローのようなイメージから、記者は試合前に松井選手を「ゴジラ」と表現しました。その後、開幕戦で松井選手が特大アーチを放ったことにより、「ゴジラ」というニックネームが定着しました。記者は松井選手の体格とパワー、そして「ゴジラ」のイメージを重ねて、このニックネームをつけたことを明かしています。しかし、松井選手自身は当初、このニックネームを嫌がっていたようです。
松井さんって、ほんまに強かったんやね!
ヤンキースの背番号「55」番の伝説
続いて、ヤンキースの背番号「55」番の伝説についてお話しましょう。
公開日:2021/12/09
✅ ヤンキースの背番号別歴代最高選手として、松井秀喜氏が「55」に選ばれました。
✅ 松井秀喜氏はヤンキースで7年間プレーし、27度目の世界一に貢献した功績が評価されました。
✅ 他にも、デレク・ジーター、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグなど、歴代のレジェンドたちが名を連ねています。
さらに読む ⇒Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ―出典/画像元: https://full-count.jp/2021/12/09/post1165216/やはり、レジェンドと呼ばれるにふさわしい活躍ですね。
松井秀喜氏は、ニューヨーク・ヤンキースで7年間プレーし、2009年のワールドシリーズでMVPを獲得するなど、輝かしい成績を残しました。ヤンキースは多くの永久欠番を持つチームですが、松井秀喜氏が背負った「55」番は、MLB公式によって発表された「ニューヨーク・ヤンキースの背番号別歴代最高選手」に選出されました。ヤンキースの背番号「55」番の歴代最高選手として、松井秀喜氏の功績が称えられました。
背番号って、大事なものよね。
ヤンキースが手放した「ゴジラ」
では、次はヤンキースが手放した「ゴジラ」について詳しく見ていきましょう。
✅ ニューヨークのスポーツ専門局「SNY」が選んだ「影響力のあったヤンキースのFA契約トップ10」において、松井秀喜が8位にランクインした。
✅ 松井は、巨人からヤンキースに移籍後、7年間で916試合に出場し、通算打率.292、140本塁打、597打点を記録。2009年にはワールドシリーズで優勝し、MVPにも輝いた。
✅ SNYは松井の契約は決して大きくはなかったものの、彼の活躍や日本での人気により、アメリカでも注目を集めたと評価している。
さらに読む ⇒THE DIGEST出典/画像元: https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=51032確かに、ヤンキースは松井選手を手放したことを後悔しているかもしれませんね。
米メディア『ザ・スポーツ・スター』は、「ニューヨーク・ヤンキースが手放すのが早すぎた10選手」に松井秀喜氏を選出しました。記事では、松井氏が2009年のワールドシリーズでMVPを獲得し、ヤンキースを9年ぶりの世界一に導いた功績を紹介しています。しかし、ヤンキースは松井氏と再契約せず、エンゼルスに移籍させてしまいました。記事は、ヤンキースが松井氏を手放したのは大きな過ちだったと指摘しています。松井氏はエンゼルスに移籍後も、ニューヨークのファンから愛され、引退後もイベントなどで登場するたびに大きな拍手を浴びています。現在、ヤンキースのGM特別アドバイザーを務めており、ニューヨークでの人気は絶大です。
えー、なんで手放したんやろ?
野球教室で子どもたちに夢を届ける
では、次の章では野球教室で子どもたちに夢を届ける松井秀喜選手についてお話しましょう。
公開日:2022/08/18
✅ 松井秀喜氏がアメリカで子供を対象とした野球教室を開催し、約30人の子供たちが参加しました。
✅ 松井氏は打撃投手を務め、豪快なアーチ2発を披露するなど、子供たちと交流しました。
✅ 松井氏は野球教室を通して、少年・少女野球の発展と普及、子供たちの健全育成を目指しています。
さらに読む ⇒ニューヨークで生活する人のための情報サイト - NYJapion.com - ニューヨークで生活する人のための情報サイト出典/画像元: https://www.ejapion.com/topics/43468/松井選手の野球教室は、子どもたちにとって貴重な経験になるでしょうね。
松井秀喜氏は、現役引退後も日米で野球教室を継続し、野球の楽しさを子どもたちに伝えています。NPO法人『松井55ベースボールファウンデーション』を設立し、無料の野球教室を開催しています。少人数制で、松井さん自身も子どもたちと汗を流し、キャッチボールや打撃練習を行います。教室の最後には、松井さんのフリー打撃が披露され、子どもたちだけでなく、保護者も楽しませています。松井さんの野球教室は、子どもたちにとって貴重な体験であり、野球への関心を高める機会となっています。今年は4月29日に東京近辺で7回目の開催が予定されており、参加者たちとの貴重な思い出作りを目指しています。詳細情報は主催団体のホームページ(https//matsui55.org/)で確認できます。
松井さんって、やっぱ優しい人やな!
「ゴジラ」と松井秀喜の不思議な縁
そして最後は、「ゴジラ」と松井秀喜の不思議な縁についてご紹介いたします。
✅ 2002年6月3日、東宝系映画「ゴジラ対メカゴジラ」で、松井秀喜がゴジラと握手している写真が撮影されました。
✅ この写真には、松井秀喜とゴジラが写っており、松井秀喜はゴジラの左側に立っています。
✅ 松井秀喜は、巨人の選手として活躍しており、写真ではゴジラと並んで、その大きさを際立たせています。
さらに読む ⇒時事ドットコム:時事通信社が運営するニュースサイト出典/画像元: https://www.jiji.com/jc/d4?p=mat555-jlp13806796&d=d4_bbまさか、ゴジラと松井秀喜選手が一緒に写真に写っているなんて!
松井秀喜氏は、アメリカで「ガッズィーラ」と呼ばれ親しまれています。当初は「ゴジラ」と呼ばれることを嫌がっていた松井氏ですが、アメリカでのニックネームが自分の力になっていると語っています。また、松井氏は『ゴジラ対メカゴジラ』に本人役で出演した経験もあります。
ゴジラって、やっぱり人気者よね。
以上、松井秀喜選手と「ゴジラ」についての解説でした。
💡 松井秀喜選手は、星稜高校時代から「ゴジラ」と呼ばれていた。
💡 松井秀喜選手は、ヤンキースで活躍し、世界一に貢献した。
💡 松井秀喜選手は、現役引退後も野球教室を開催し、子どもたちに夢を届けている。