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友川カズキは、中原中也の詩に曲をつける?彼の音楽人生とは!?

友川カズキは、中原中也の詩に曲をつける?彼の音楽人生とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 友川カズキは、1950年生まれのフォークシンガー、詩人、画家、俳優である。

💡 中原中也の詩に感銘を受け、詩作を始めたことがきっかけで音楽の道へ進む。

💡 ちあきなおみに楽曲提供した「夜へ急ぐ人」は、彼の代表曲の一つである。

それでは、友川カズキさんの音楽人生について詳しく見ていきましょう。

友川カズキの生い立ちと音楽への道

友川カズキさんの音楽への道筋、とても興味深いですね。

🔖 関連記事の要約!友川カズキ
友川カズキ

✅ 友川カズキは、歌手、競輪評論家、画家として活動するアーティストである。

✅ 1970年代にフォークシンガーとしてデビューし、ちあきなおみに楽曲提供した「夜へ急ぐ人」がヒット。その後は、俳優としても活動し、画家としても評価されている。

✅ 近年では、海外での評価も高まり、精力的なライブ活動を続けながら、YouTubeチャンネルを開設するなど幅広く活動している。

さらに読む ⇒WikiwandWikiwand出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/%E5%8F%8B%E5%B7%9D%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%82%AD

様々な分野で活躍されているんですね。才能溢れる方だと感じます。

友川カズキは1950年2月16日生まれの秋田県出身のフォークシンガー、詩人、画家、俳優です。中学生時代に中原中也の詩「骨」に衝撃を受け、詩作を始めました。その後、フォークソングに影響を受け、25歳でデビューを果たしました。彼は中原中也の詩に曲をつけることも多く、特に「骨」は、その詩の言葉の力強さに衝撃を受けたため、曲をつけられずにいるそうです。友川さんは、岡林信康さんの歌に感銘を受け、フォークシンガーになることを決意しました。岡林さんの日常的な言葉で歌われるスタイルに共感し、フォークソングに対する見方が変わりました。彼は俳優としても活動しており、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」のオファーを、秋田弁を直すことを求められたことから断ったというエピソードがあります。現在、テレビドラマ「毒島ゆり子のせきらら日記」に出演しており、彼の濃いキャラクターがどのように表現されるのか注目されます。

へぇ~、まじ!?なんか渋い感じの人やなぁ。

そうやね、多彩な才能を持つ人って、やっぱり魅力的よね。

あんた、若い頃から詩に触れてたのね。詩って難しいのよ。

デビュー曲「夜へ急ぐ人」に込めた野望

では、友川カズキさんの代表曲の一つ「夜へ急ぐ人」について詳しくお話ししましょう。

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ちあきなおみ 紅白で゛気持ちの悪い歌゛と言われた『夜へ急ぐ人』

✅ ちあきなおみの音楽活動は、郷ひろみのプロデュースにより、従来の演歌路線から脱却し、様々なジャンルの楽曲に挑戦する転換期を迎えた。

✅ 1977年には、中島みゆき作曲の「ルージュ」や、河島英五作曲の「あまぐも」など、ニューミュージックを取り入れ、従来の演歌のイメージを払拭する試みを見せた。

✅ 1977年9月に発表された「夜へ急ぐ人」は、友川かずきによる強烈な歌詞と、ちあきなおみの鬼気迫るパフォーマンスが話題となり、新たなステージへの挑戦を示すものとなった。

さらに読む ⇒NEWSポストセブンNEWSポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20210625_1670092.html/2

ちあきなおみさんの歌唱力と、友川カズキさんの独特な歌詞が合わさって、本当に印象的な曲ですね。

友川カズキさんは、デビュー当初は「歌で一発当てて小金持ちになりたい」という野望を持っていたが、ちあきなおみさんに提供した「夜へ急ぐ人」は、その野望を叶えるための勝負曲だったと語っています。紅白歌合戦でちあきさんが歌唱した際には、アパートでテレビを見ながら興奮し、映像を写真に撮ったほどだったそうです。「夜へ急ぐ人」は、精神科医の会合でNGが出たほど、独特な雰囲気を持つ曲で、ちあきさんの振り付けも異界を感じさせるものでした。

え、まじ!?ちょ、なんか怖い感じするやん。

確かに、ちょっと変わった雰囲気の曲だよね。

あんた、ちあきなおみに曲を提供したのね。すごいわね。

宇崎竜童との出会い、そして音楽活動の始まり

友川カズキさんの音楽活動の始まりについて、触れていきましょう。

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友川カズキ物語〜デビューまでの道のり、映画゛戦メリ゛の主役を蹴った過去、怒れる詩人としての信念

✅ 友川カズキは、秋田出身のシンガーソングライターで、1974年にデビュー。

✅ デビュー当初は宇崎竜童のバックアップを受けながらも、ヒットには恵まれず、その後も売れないまま歌い続けている。

✅ 彼は、数々のアルバイトを経験し、厳しい生活の中でも音楽への情熱を諦めずに、地道に活動を続けてきた。

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宇崎竜童さんのサポートを受けて、音楽活動を始めたんですね。素晴らしいですね。

友川さんはデビュー後、宇崎竜童さんの紹介で徳間音工と契約し、「生きてるって言ってみろ」でアルバムデビューを果たしました。宇崎さんは音楽業界の恩人であり、友川さんの多作な創作活動を支えてきた存在です。友川さんは「生きてるって言ってみろ」を21歳で作曲したなど、若い頃から精力的に楽曲制作を行っており、現在までに1000曲以上を作曲しています。しかし、自身の楽曲を完成後にはほとんど聴かないという、独特なこだわりを持っているそうです。

へぇ~、宇崎竜童って人、知らんかったわ。

音楽って、やっぱり努力が大事なんだね。

あんた、若い頃から才能があったのね。

中原中也との出会い、詩と音楽の融合

友川カズキさんと中原中也の作品との関わりについてお話しましょう。

🔖 関連記事の要約!俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集~
俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集~

✅ 「俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集~」は、友川かずきが中原中也の詩に曲をつけたアルバムで、1990年4月21日にリリースされた。

✅ アルバムには「サーカス」「臨終」「湖上」「帰郷」「桑名の驛」「夏の日の歌」「汚れっちまった悲しみに」「春の日の夕暮」「六月の雨」「坊や」の10曲が収録されている。

✅ 友川かずきの音楽と中原中也の詩の組み合わせが、独特の世界観を生み出し、聴く人の心を惹きつけると評判が高い。

さらに読む ⇒ 豆瓣 豆瓣出典/画像元: https://m.douban.com/music/subject/2160474/

中原中也の詩に曲をつけたアルバム、とても興味深いです。詩の世界観と音楽が融合して、独特な魅力を生み出しているんですね。

友川カズキの4thアルバム「俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集~」は、詩人・中原中也の作品に友川が曲をつけた作品である。友川にとって中原は、文学への入口でありながら、音楽の原点でもある。本作では、友川の抒情的なメロディーと歌唱が中原の詩の世界観を表現し、中原の詩に特徴的な言葉のリズム感や音の心地よさを際立たせている。アレンジはJ.A.シーザーが担当し、ストリングス、ブラス、コーラスなどを効果的に用いることで、演劇的なアプローチがなされている。アルバム全体を通して、友川の豊かな表現力と、中原中也の詩の世界観が融合した、ジャンルを超越した至極の音楽作品となっている。友川カズキの4thアルバム「俺の裡で鳴り止まない詩~中原中也作品集~」は、詩人・中原中也の作品に友川が曲を付けた、友川の表現者としての原点に立ち返った作品です。友川は中学時代に中原中也の詩に感銘を受け、自身も詩作を始め、後にその詩に曲を付けたことでシンガーとしての道を歩み始めました。中原中也の詩は、言葉のリズム感や表現の深みだけでなく、声に出した時の音の心地よさがあり、音楽との相性が良いことから、友川は中原の作品にメロディーを乗せ、抒情的な歌唱で詩の世界観を表現しました。アルバム全体を通して、友川の豊かな表現力と、J.A.シーザーによるストリングスやブラスなどを用いた演劇的なアレンジが融合し、ジャンルを超越した至極の音楽作品が完成しました。

え、まじ!?なんか、めっちゃ渋そうやん。

詩に曲をつけるって、すごい発想だよね!

あんた、中原中也の詩に曲をつけてるの?すごいわね。

本日は友川カズキさんの音楽人生をご紹介しました。様々な分野で活躍されている方だと改めて感じました。

🚩 結論!

💡 友川カズキは、中原中也文学に影響を受け、詩作を始め、後に音楽の世界へ進む。

💡 ちあきなおみに楽曲提供した「夜へ急ぐ人」は、彼の代表曲の一つである。

💡 彼は、詩と音楽を融合させた作品を発表するなど、独自の音楽世界を築いている。