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グレート・アントニオ、猪木との因縁!なぜ猪木は激怒したのか?猪木との壮絶な関係とは!?

グレート・アントニオ、猪木との因縁!なぜ猪木は激怒したのか?猪木との壮絶な関係とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 グレート・アントニオは、怪力レスラーとして世界的に有名だった。

💡 力道山率いる日本プロレスに参戦したアントニオは、期待外れの活躍で商品価値が暴落した。

💡 猪木との対戦では、アントニオのふざけた態度に猪木が激怒し、容赦ない攻撃を見せた。

それでは、グレート・アントニオと猪木さんの関係について、詳しく見ていきましょう。

怪力レスラーの誕生と日本初上陸

アントニオのカナダでの活躍は、日本の活動とは対照的ですね。

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公開日:2021/07/25

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✅ グレート・アントニオは怪力デモンストレーションで人気を集め、力道山率いる日本プロレスに参戦。しかし、力道山との試合では期待外れのパフォーマンスを見せ、商品価値が暴落。その後、猪木を含む若手レスラーにハンディキャップマッチで敗れ、日本での活動を終えた。

✅ アントニオは力道山との試合後、控室でカール・クラウザー、ミスターX、マイク・アーキンスらに袋叩きにあう事件が発生。この事件は力道山によってマスコミに隠蔽されたと言われている。

✅ アントニオはカナダではストロングマンとして活躍し、ギネス世界記録にも認定された。日本での活躍とは対照的に、カナダでは高い評価を受けていた。

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力道山との試合後、アントニオが袋叩きにあう事件は衝撃的ですね。力道山がマスコミに隠蔽していたというのは、驚きです。

1925年、クロアチアで生まれたグレート・アントニオは、怪力レスラーとして名を馳せ、1952年には433トンの列車を引っ張るギネス世界記録を達成しました。カナダに移住後、ストロングマンとして活躍し、バスを引きずりギネス記録を更新したアントニオは、1959年からプロレスラーとしてのキャリアをスタートさせました。1961年には、力道山率いる日本プロレスの『第3回ワールド大リーグ戦』に初来日を果たし、力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦しますが、2-0で敗北しました。その後、アメリカで活動し、テキサス州アマリロ地区ではNWA北米ヘビー級王座に挑戦するなど、世界を舞台に活躍しました。

えー、まじ!?そんな事件あったん?知らんかったわー!

へー、アントニオってカナダでは有名やったんや!

力道山はねー、すごい怖い人だったのよ。

猪木との運命の出会い

アントニオ猪木さんは、2022年10月1日に亡くなられたんですね。ご冥福をお祈りいたします。

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✅ アントニオ猪木さんは2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなりました。79歳でした。

✅ 21世紀に入り、プロレス人気は急落し、猪木が創設した新日本プロレスも例外ではありませんでした。

✅ 猪木は、新日本プロレスの低迷は、K-1やPRIDEの台頭、主力選手の離脱などではなく、リングの中にあると指摘しています。

さらに読む ⇒日刊スポーツ日刊スポーツ出典/画像元: https://www.nikkansports.com/premium/sports/news/202210050000257.html

猪木さんは、新日本プロレスの低迷の原因をリングの中にあると指摘されているんですね。

1977年、アントニオは16年ぶりに日本に帰国し、新日本プロレスの『闘魂シリーズ第2弾』に乱入しました。中堅・若手選手とのハンディキャップマッチや坂口征二とのシングルマッチを経て、最終戦ではアントニオ猪木と対戦することになりました。猪木はアントニオの怪力に驚きつつも、レスリングにならず別のモノになってしまう危険性を危惧していました。猪木は、ゴッチのように相手を〝殺す〟タイプのレスラーであるアントニオを、力道山のようにゲテモノレスラーを〝生かす〟のではなく、レベルの高いプロレスに引きずり込もうとしました。しかし、アントニオは猪木の感性を理解できず、猪木の期待を裏切ることになりました。

まじ!?猪木さん死んでたん?知らんかったわー!

あー、プロレス人気って落ちてるよね。

猪木はね、神様みたいな人だったのよ。

猪木怒りの爆発

猪木さんがアントニオに対して、普段見せないほどの激しい攻撃を見せたというのは、驚きですね。

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Fightドキュメンタリー劇場33 ゛化け物゛退治!! 壮絶「猪木vs.グレート・アントニオ」 – 週刊ファイト

✅ この記事は、1977年12月8日に行われたアントニオ猪木vs.グレート・アントニオ戦について、当時の週刊ファイト編集長(I編集長)が語っている内容である。

✅ I編集長は、猪木がグレート・アントニオに対して、普段見せないほどの激しい攻撃を見せたことについて、猪木の闘い方と照らし合わせて解説している。

✅ また、グレート・アントニオが来日した時のエピソードとして、観客がリングサイド席を避けるほど彼の荒々しさに恐れを感じていたことや、力道山が興行のためにグレート・アントニオの荒々しさを利用していたことを紹介している。

さらに読む ⇒Fightドキュメンタリー劇場33 ゛化け物゛退治!! 壮絶「猪木vs.グレート・アントニオ」 – 週刊ファイトFightドキュメンタリー劇場33 ゛化け物゛退治!! 壮絶「猪木vs.グレート・アントニオ」 – 週刊ファイト出典/画像元: https://miruhon.net/216113

当時の観客は、アントニオの荒々しさに恐れを感じていたんですね。

1977年12月8日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsグレート・アントニオ戦は、アントニオの不真面目な態度と技術不足により、観客から失笑が起こるほど緊張感に欠けた試合展開となりました。猪木は試合開始から不機嫌で、アントニオの力任せの攻撃に我慢の限界に達し、マジギレして容赦ない攻撃を仕掛けました。猪木が激怒したのは、アントニオのふざけた態度と緊張感のない試合運びに対する不満が爆発したためです。ストイックな試合を重視する猪木にとって、アントニオの態度は許しがたいものでした。

えー、まじ!?猪木さんマジギレしたん?

アントニオって、そんなに怖かったんかな?

猪木はね、正義感の強い人だったのよ。

猪木の招聘の意図と失望

新日本プロレスは、全日本プロレスとのライバル意識の中で発展してきたんですね。

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✅ 新日本プロレス旗揚げ当初は、テレビ放送もなく外国人レスラーも無名で、全日本プロレスに大きく差をつけられていた。しかし、猪木やレスラーたちの熱意や、倍賞美津子さんと千恵子さんの宣伝活動によって少しずつ観客が増え、全日本とのライバル意識が新日本の成長を後押しした。

✅ 新日本は旗揚げ後、全日本プロレスの圧倒的な強さの前に苦戦を強いられたが、日プロから坂口征二が加わり、NETのテレビレギュラー放送を獲得したことで、徐々に勢力を拡大していった。

✅ 新日本と全日本は、馬場と猪木のライバル意識が生み出した切磋琢磨によって発展し、日本のプロレス界を50年間支える存在へと成長した。

さらに読む ⇒Number Web - ナンバーNumber Web - ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/852224?page=3

猪木さんは、アントニオを招聘したことで、観客を獲得しようと考えていたんですね。

アントニオ猪木は、グレート・アントニオを新日本プロレスに招聘した背景には、人気を獲得し、観客を振り向かせなければ始まらないという考えがありました。しかし、アントニオの感性の鈍さに失望し、怒りを爆発させたのではないかと推測されています。

へー、猪木さんって苦労してたんだねー!

アントニオって、やっぱダメだったんかな?

猪木はね、夢を追い続けた人だったのよ。

アントニオ猪木さんとグレート・アントニオの関係は、プロレス界の歴史に深く刻まれていますね。

🚩 結論!

💡 グレート・アントニオは、怪力レスラーとして世界的に有名だったが、日本での活動は芳しくなかった。

💡 猪木は、アントニオをプロレスラーとしてレベルアップさせようとしたが、アントニオの感性の鈍さに失望した。

💡 猪木は、アントニオとの対戦で激怒し、普段見せないほどの激しい攻撃を見せた。