ACABO Logo Menu opener

ディスコブームはなぜ終わった?ディスコとクラブの違いとは!?

ディスコブームはなぜ終わった?ディスコとクラブの違いとは!?

📘 この記事で分かる事!

💡 ディスコブームは1980年代に到来し、サーファー文化と密接に関連していた。

💡 バブル経済の到来により、ディスコは高級化し、社会現象となった。

💡 ディスコブームはバブル崩壊と共に終焉を迎えた。

それでは、第1章から詳しく見ていきましょう。

ディスコブームの到来と転換期

当時の流行ファッションやお店の雰囲気、当時の若者の様子が目に浮かびますね。

ディスコ昔話: スクエアビル8F ネペンタ
ディスコ昔話: スクエアビル8F ネペンタ

✅ この記事は、著者がかつて頻繁に通っていた「スクエアビル」にあるサーファー系の店の思い出について語っています。

✅ 店は女子大生を中心とした客層で、エンジェルフライト、ファーラーホップサック、サンローランウェッジソールなどのファッションが流行していたようです。

✅ 店の特徴として、象の剥製があったことや、コインパーキングだったことが挙げられています。

さらに読む ⇒ディスコ昔話出典/画像元: http://discofolklore.blogspot.com/2016/04/8f.html

今の若い方には信じられないかもしれませんが、当時はディスコが一大ブームだったんですね。

1980年代初頭、東京ではサーファーディスコブームが到来し、六本木のスクエアビルを中心に多くのディスコがオープンしました。

中でも「GIZA」と「ネペンタ」が人気を博し、スクエアビルの他には「キサナドゥ」が伝説のディスコとして知られています。

新宿では「ゼノン」や「カンタベリーハウス」、渋谷では「ラ・スカーラ」や「スパジオ」が人気を博しました。

しかし、1982年に新宿歌舞伎町で起きたナンパ殺傷事件をきっかけに、ディスコ業界は規制強化の影響を受け、83年頃からブームは下火になり始めました。

代わりに、お洒落なカフェバーやプールバーが流行し始め、1986年にはトムクルーズとポールニューマン主演の映画『ハスラー2』公開を機に、プールバーがさらに人気を集めました。

え、まじ!?そんなとこあったん?知らんかったわ!

バブル時代のディスコブーム

確かに、ディスコ業界は規制強化の影響を受けたことは事実ですね。

バブル期のディスコブーム

公開日:2019/02/16

バブル期のディスコブーム

✅ 80年代のディスコブームは、サーファーを中心とした若者文化として、特に新宿では多くのディスコが賑わいを見せていました。マハラジャなどの高級ディスコが台頭した六本木は、ドレスコードが厳しく、お立ち台やボディコンが特徴的なバブル期の象徴的な存在でした。

✅ ディスコは風営法上の分類で「踊る場所」として認可を受けており、ダンスに特化した作りで、店舗が所有するレコードが中心です。一方、クラブは風営法の隙間をついて誕生し、フリーDJによる選曲、イベント企画など自由度が高く、音楽を中心とした文化の発信地としての側面も持ち合わせています。

✅ ディスコは、初心者でも安心して楽しめるよう、店側がサービスを提供するスタイルが確立されているのに対し、クラブはDJやイベントにより内容が日々変化するため、事前に情報収集が必要で、初心者には入り難いイメージを持つ人もいる。しかし、クラブはディスコに比べて自由度が高く、音楽や文化を深く楽しめる場所であると言える。

さらに読む ⇒KANTAKE Blog出典/画像元: https://kantake.net/disco/

クラブとディスコの違い、改めて説明していただきありがとうございます。

1980年代後半、バブル経済が本格化すると、ディスコブームは再び活気を帯び始めました。

特に「マハラジャ」が日本全国で人気を博し、ディスコ文化は最高潮に達しました。

当時のディスコは、華やかなファッションや音楽、そして出会いを求める人々で溢れていました。

女性はディスコクイーンとして君臨し、男性はナンパに熱心でした。

バブル経済崩壊後、ディスコブームは終焉を迎えますが、1980年代のディスコは、当時の若者たちにとって、忘れられない時代となりました。

まじ!?ディスコってそんなに流行ってたん?知らんかったわ!

バブル時代のファッション:ボディコン

ボディコン、懐かしいですね。

クイズ】ボディコンって何の略だか言える?意外に知らない!

公開日:2020/09/27

クイズ】ボディコンって何の略だか言える?意外に知らない!

✅ 「ボディコン」は「ボディ・コンシャス(body-conscious)」の略で、「体を意識している」という意味の英語です。

✅ ボディコンファッションは、1981年のミラノ・コレクションでアズディン・アライアが発表した身体に添ったデザインのドレスに端を発し、女性の自己主張や解放を目指すファッションムーブメントの一部でした。

✅ 日本では、1980年代のバブル期に遊び着として広まり、特に東京・芝浦のディスコ、ジュリアナ東京で流行しました。ボディコンファッションはワンレンのヘアスタイル、ジュリ扇などと共にバブル期の象徴となっています。

さらに読む ⇒OTONA SALONE出典/画像元: https://otonasalone.jp/186453/

ボディコンファッション、当時の流行を象徴するスタイルですね。

バブル時代のファッションを象徴するボディコンは、ボディラインを強調するタイトなシルエットが特徴です。

1980年代に流行したこのスタイルは、アライヤのニットドレスに始まり、日本では派手なカラーや素材、大胆なデザインで進化しました。

ボディコンの特徴は、バスト、ウエスト、ヒップのラインを強調するデザインで、胸元が開き、スカート丈は太もも付近までが基本です。

鮮やかな赤や黄色、ピンク、紫などの原色が主流で、ヒョウ柄やゼブラ柄などのワイルドな柄も人気でした。

伸縮性の高いニット素材や、合皮、サテンなど光沢のある素材が使われており、スパンコールで飾られたボディコンも目立ちました。

バブル期の女性たちは、ボディコンに合わせるヘアスタイルとして、トサカ前髪、ワンレン、ソバージュなど、個性的で大胆なスタイルを好みました。

これらのファッションは、バブル期の華やかさと勢いを象徴するものであり、現在でもレトロなファッションとして注目されています。

あー、わかるわかる!あの頃の女の子はみんなボディコン着てたもんなー!

高級ディスコの台頭

マハラジャ、私も行ったことがあるんですよ。

東京MAHARAJA(マハラジャ)麻布十番本店 コレクション

公開日:2021/12/19

東京MAHARAJA(マハラジャ)麻布十番本店 コレクション

✅ この記事は、東京マハラジャ(マハラジャ)に関する懐かしの画像コレクションを紹介しています。

✅ 記事では、マハラジャの外観や店内、グッズ、広報資料などの写真が掲載されています。

✅ さらに、マハラジャに関する詳細記事へのリンクや、マハラジャのサイレン音や名刺などの情報も提供されています。

さらに読む ⇒Club & Disco ミュージアム出典/画像元: https://disco-memory.net/2951.html

当時のマハラジャの人気は凄かったみたいですね。

バブル時代のディスコは、若者の遊び場から大人の社交場へと変貌を遂げ、高級ディスコが続々とオープンしました。

特に「マハラジャ」は大阪ミナミに1号店をオープン後、日本全国に数十店舗を展開し、東京・麻布十番店のお立ち台は社会現象になるほどの人気を博しました。

マハラジャって、なんか高級そうで怖いイメージしかなかったわー!

バブル時代のレガシー

バブル時代のディスコブームは、まさに時代を象徴する文化だったと言えるでしょう。

バブル時代、なぜディスコであんなに盛り上がったのか? 日本社会を変えるウェルビーイングの大潮流(7)(1/5)
バブル時代、なぜディスコであんなに盛り上がったのか? 日本社会を変えるウェルビーイングの大潮流(7)(1/5)

✅ バブル時代の日本では、高級ディスコが続々とオープンし、若者の遊び場から大人の社交場へと変貌を遂げました。

✅ 特に「マハラジャ」は、社会現象となるほどの人気となり、高級ディスコ文化の頂点を迎えたと言えます。

✅ ディスコは、バブル時代の経済的な豊かさや自由な雰囲気を象徴する存在であり、人々がストレスから解放され、ウェルビーイングを感じられる場所でした。

さらに読む ⇒JBpress (ジェイビープレス) | リアルな知性で世界に勝つ出典/画像元: https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66892

ディスコは、人々がストレスから解放され、ウェルビーイングを感じられる場所だったんですね。

バブル時代は、経済的な豊かさだけでなく、ディスコ文化を通して人々が社交やエンターテイメントを楽しむ機会が増加した時代だったと言えるでしょう。

あの頃は、みんなディスコで遊んで、恋して、夢を追いかけてたよね!

本日は、ディスコブームについてご紹介いたしました。

🚩 結論!

💡 ディスコブームは、サーファー文化やバブル経済の影響を受けた。

💡 マハラジャなどの高級ディスコが台頭し、社会現象となった。

💡 バブル崩壊後、ディスコブームは終焉を迎えた。