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笠置シヅ子と服部良一『ブギウギ』コンビは、戦後の日本を熱狂させた?二人の出会いから「ブギの女王」誕生秘話とは!?

笠置シヅ子と服部良一『ブギウギ』コンビは、戦後の日本を熱狂させた?二人の出会いから「ブギの女王」誕生秘話とは!?

📘 この記事で分かる事!

💡 戦後日本の音楽史に大きな影響を与えた、笠置シヅ子と服部良一のコンビの軌跡を紹介

💡 二人の出会いと才能開花、ブギウギ旋風、人気上昇の過程を追跡

💡 「東京ブギウギ」誕生秘話や映画出演、二人の革新性について解説

それでは、二人の出会いと才能開花について詳しく見ていきましょう。

二人の出会いと才能開花

戦後、復興を待ち望む人々に希望を与える音楽を追求した二人の姿が印象的ですね。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」の文化的背景がすべてわかる決定版
NHK連続テレビ小説「ブギウギ」の文化的背景がすべてわかる決定版

✅ NHK連続テレビ小説『ブギウギ』は、戦後の大スター・笠置シヅ子をモデルにした、歌と踊りに情熱を注ぐ女性の波乱万丈な人生を描いた物語。

✅ 激動の時代の中、歌手として成功を収めた笠置シヅ子と作曲家・服部良一コンビが、どのようにして「ブギの女王」と「スウィングの申し子」の称号を得たのか、その軌跡がドラマを通して描かれる。

✅ 関連本として、『NHK出版新書 昭和ブギウギ~笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』が紹介されており、ポピュラー音楽史研究の第一人者である輪島裕介氏が、貴重な資料を基にコンビの功績を検証している。

さらに読む ⇒ほんのひきだし出典/画像元: https://hon-hikidashi.jp/book-person/19057/

シヅ子さんの才能が開花した瞬間ですね。

二人の出会いがなければ、戦後の音楽シーンは大きく変わっていたかもしれません。

笠置シヅ子は、大阪松竹楽劇部で活躍し、独特の歌唱とダンスで人気を博しました。

服部良一は、ジャズバンドを結成し、映画音楽や流行歌の作曲家として活躍していました。

戦後、服部良一は敗戦後の日本に活力を与える音楽を志し、ジャズ評論家野川香文のアドバイスで明るいリズムのブギウギを選択しました。

笠置シヅ子は、服部良一に小柄な女性という印象を与えましたが、舞台でのスイング感あふれる歌とダンスで服部良一を魅了しました。

服部良一は、シズ子のステージングを洗練し、地声での歌唱を指導することで、彼女の才能を開花させました。

二人の深い絆は、弟子と師匠、人形遣いと人形の関係と形容され、シズ子は服部良一を「ワテの先生」と呼びました。

へぇ~、服部先生って、シズ子ちゃんのこと、人形遣いと人形の関係って言うてたんや!なんかロマンチックやなぁ。

ブギウギ旋風と人気上昇

戦後日本の音楽史を語る上で、笠置シヅ子と服部良一二人の存在は欠かせません。

NHK出版新書 703 昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲
NHK出版新書 703 昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲

✅ 本書は、ポピュラー音楽史研究の第一人者である輪島裕介氏が服部家から提供された楽譜草稿などの貴重な資料を基に、戦前の「ブギの女王」笠置シヅ子と「スウィングの申し子」服部良一のコンビが、近代の芸能に遺した業績を詳細に解説したものです。

✅ 従来の批評通念である「レコード中心」や「戦前と戦後を分断したもの」という見方に挑戦し、笠置と服部が戦前から戦後にかけてどのように流行歌やブギウギなどのリズム音楽を奏で、大衆文化に貢献したかを明らかにしています。

✅ 本書は、連続テレビ小説「ブギウギ」関連書として、笠置シヅ子と服部良一が日本の音楽史に刻んだ足跡を深く掘り下げ、二人の音楽活動を通して近代日本の芸能文化の変遷を描き出しています。

さらに読む ⇒NHK出版出典/画像元: https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000887032023.html

本書は、二人の音楽活動を通して、戦後日本の芸能文化の変遷を詳しく解説していて、大変興味深いですね。

服部良一の誘いで、シズ子は「松竹楽劇団」の公演に参加し、黒人の娘役を演じ、そのパフォーマンスは「日本ジャズ・ショーの傑作」と評価され、彼女の評価を高めました。

その後、日本コロムビアの山内義富に見いだされ、専属歌手としてレコードデビューを果たしました。

シズ子のスイング感とエネルギッシュなステージは、当時の日本にジャズの雰囲気をもたらし、彼女は「クイン・イザベラ」や「ラッパと娘」などの楽曲で人気を博しました。

戦後、笠置シヅ子は『東京ブギウギ』の大ヒットにより゛ブギの女王゛と呼ばれるほど人気を博しました。

服部良一とのコンビで、毎月のようにブギウギソングを発表し、1948年から1952年にかけて『さくらブギウギ』『博多ブギウギ』『北海ブギウギ』『大阪ブギー』『ジャングル・ブギー』など、数多くのブギソングを世に送り出しました。

これらの曲は、当時の流行歌手であるシヅ子の巡業で各地を盛り上げ、レコードの売り上げにも貢献しました。

いや~、シズ子さんのステージング、スゴかったやろな。あの頃の日本中を盛り上げたとか、想像するだけでワクワクするばい!

「東京ブギウギ」誕生秘話

戦後日本の音楽史における通念に対する異議申し立てというのは、なかなか興味深いですね。

ブギウギの時代―笠置シズ子と服部良一の挑戦

公開日:2023/10/10

ブギウギの時代―笠置シズ子と服部良一の挑戦

✅ 記事は、笠置シヅ子と服部良一の活躍が、戦後の日本の大衆音楽史における通念に対する異議申し立てになることを指摘しています。特に、洋楽重視の近代音楽史観や娯楽的な歌や踊りの軽視、東京中心の文化史観への挑戦だと主張しています。

✅ 笠置シヅ子は、宝塚少女歌劇を模倣して設立された松竹楽劇部出身で、庶民層出身の団員が多く、観客の関心に応えるための娯楽を提供するという職業意識が強かったことを強調しています。また、笠置が独学で歌を身につけ、歌が得意なコミカルな娘役として頭角を現したことも記述されています。

✅ 服部良一は、大阪の下町で生まれ、浪曲や小唄を幼少期から聞いて育ち、道頓堀のジャズにも多大な影響を受けたとされています。さらに、亡命ウクライナ人指揮者エマヌエル・メッテルから音楽を学び、フィリピン人プレーヤーを集めてジャズバンドを結成し、尼崎のホールで腕を磨いたことも紹介されています。

さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02332/

服部良一さんの創造性と笠置シヅ子さんの才能の融合が、戦後日本の音楽史に残る名曲を生み出したんですね。

1947年に発表された「東京ブギウギ」は、戦後焼け野原の日本に希望を与えるため、服部良一が作曲し、笠置シヅ子が歌ったブギのリズムに乗せた楽曲です。

服部良一は、電車の中で聴いた音からインスピレーションを得て、ナプキンにメロディを書き留め、記憶を頼りに再構築しました。

レコーディングには米軍関係者も参加し、当時の熱気を反映した一曲に仕上がりました。

「東京ブギウギ」は、日常の中に潜むリズミカルな要素を捉え、音楽に昇華させた服部良一の創造性と、笠置シズ子の才能が融合した、戦後日本の音楽史に残る名曲です。

へっへっへ、服部良一さんは、ナプキンにメロディー書いちゃったって言うんやで!天才って、やっぱり違うわね!

映画出演とブギの力

戦後間もない時代の東京の雰囲気を感じられる映画ですね。

映画「春の饗宴」
映画「春の饗宴」

✅ 戦後間もない時代の東京を舞台に、閉館を控えた「東京座」で繰り広げられる、歌手の夢と恋、そして時代の変化を描いた音楽映画です。

✅ 笠置シヅ子、轟夕起子、池部良、若山セツ子など、戦前から活躍してきたスターと戦後の新人たちが共演し、当時の流行歌「東京ブギウギ」「雨のブルース」などが披露されます。

✅ 年末の宝くじ抽選会や暴風雨に見舞われた東京など、当時の社会状況や人々の暮らしが垣間見える作品となっています。

さらに読む ⇒ホームドラマチャンネル - 韓流ドラマ・K-POP、時代劇、国内ドラマ、華流ドラマなどの人気作をセレクト!出典/画像元: https://www.homedrama-ch.com/series/S83916

シヅ子さんの歌声は、戦後の疲弊した人々に希望を与え、まさに時代の象徴だったのでしょう。

シズ子は映画にも数多く出演し、『春の饗宴』で『東京ブギウギ』を歌い、その後も『舞台は廻る』で『ヘイヘイブギー』、『酔いどれ天使』で『ジャングル・ブギー』を披露しました。

シヅ子が歌ったブギは、明るいリズムと楽しい歌詞で、戦後の疲弊した人々に希望を与え、一時代を築きました。

シズ子ちゃんのブギ、めっちゃノリノリで楽しそう!あの頃の雰囲気、ちょっと味わってみたいな。

日本の音楽史における革新性

大阪の折衷的な娯楽文化が全国に広まった過程が、二人の軌跡を通してよく分かります。

企画展「服部良一と笠置シヅ子:花開く大阪音曲」 – 大阪大学中之島芸術センター
企画展「服部良一と笠置シヅ子:花開く大阪音曲」 – 大阪大学中之島芸術センター

✅ 本企画展は、作曲家・服部良一と歌手・笠置シヅ子の軌跡を追うことで、近代大阪の折衷的な娯楽文化がどのように全国に広まったのかを展示する。

✅ 特に1920年代から30年代の「大大阪時代」には、伝統芸能と西洋文化が融合し、道頓堀ジャズと呼ばれる新たな文化が花開いた。

✅ 服部は大阪で音楽活動をスタートさせ、笠置は道頓堀のレビュー文化で活躍した後、東京で出会い、戦後「ブギウギ」ブームを起こすなど、二人で日本の音楽シーンに大きな影響を与えた。

さらに読む ⇒トップページ-slider出典/画像元: https://www.art.osaka-u.ac.jp/news/3193.html

彼らの活動は、日本の音楽史における革新性だけでなく、当時の社会状況を反映した娯楽文化の重要性を示していると言えるでしょう。

笠置シヅ子と服部良一の活躍は、戦後日本の大衆音楽が米国による占領の影響のみで生まれたという、従来の常識を覆すものと言える。

彼らの活動は、洋楽重視の近代音楽史観や娯楽的な歌や踊りなどの軽視、東京中心の文化史観に挑戦していると言える。

彼らの作品は、日本の大衆音楽史における革新性と、当時の社会状況を反映した娯楽文化の重要な証と言えるだろう。

そうか、シズ子さんと服部先生は、大阪の文化から生まれたんやね!やっぱ、大阪って、エンタメの街やけん!

笠置シヅ子と服部良一、二人のコンビは、戦後の日本に活気を与え、音楽史に大きな足跡を残したと言えるでしょう。

🚩 結論!

💡 笠置シヅ子と服部良一は、戦後日本の音楽シーンに大きな影響を与えた

💡 二人の出会いから「ブギの女王」誕生、そして二人の革新性が日本の音楽史に刻まれた

💡 戦後日本の音楽史を語る上で、二人の活躍は重要な要素であり、彼らの功績は後世に語り継がれるべきである