笠置シヅ子、ブギの女王、戦後、歌手、ブギウギ?ブギウギの女王とは!?
💡 笠置シヅ子さんは戦後、「東京ブギウギ」などのブギウギ楽曲で一世を風靡した歌手です。
💡 笠置シヅ子さんは「ブギの女王」と呼ばれ、戦後の大スターとして活躍しました。
💡 笠置シヅ子さんの人生は、戦時中、歌手を休止せざるを得ない状況に置かれたり、娘を一人で育てるなど、困難な道のりでした。
それでは、笠置シヅ子さんの波乱万丈な人生を紐解いていきましょう。
笠置シヅ子の誕生と少女時代、歌劇団入団、そしてブギの女王へ
笠置シヅ子さんの生い立ち、歌劇団入団、そしてブギの女王への道のり。
公開日:2023/10/04
✅ 笠置シヅ子さんは戦後、「東京ブギウギ」などのブギウギ楽曲で一世を風靡した歌手であり、「ブギの女王」と呼ばれた。
✅ 香川県生まれのシヅ子さんは、幼い頃から音楽に親しみ、作曲家・服部良一さんと出会い、ジャズ歌手として活躍した。
✅ 戦後、「東京ブギウギ」が大ヒットし、その後も数々のブギウギ楽曲を発表したが、1956年に引退。その後は女優として活躍し、1985年に亡くなった。
さらに読む ⇒ハフポスト - 日本や世界のニュース、会話を生み出す国際メディア出典/画像元: https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6516846ce4b0ed7ddf219d2d笠置シヅ子さんが音楽に魅了され、歌手を目指した、その情熱が伝わってきます。
笠置シヅ子は、1914年香川県で生まれ、結婚を許されなかった実の母親の代わりに、大阪から帰省していた亀井ウメに養女として引き取られました。
実家は製糖会社を営む豪農の家で、両親は愛情深く、笠置シズ子は弟の八郎と4人家族で暮らしました。
両親の影響で幼い頃から日本舞踊や三味線を習い、歌や踊りが大好きでした。
銭湯を経営していた両親の脱衣場でよく歌を披露し、近所でも評判の女の子でした。
1927年、小学校卒業後、笠置シズ子は道頓堀の松竹楽劇部に飛び込みで入団します。
当時の松竹楽劇部は、後に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に改名され、現在もOSK日本歌劇団としてその伝統が受け継がれています。
OSK日本歌劇団は、宝塚歌劇団、松竹歌劇団とともに三大少女歌劇のひとつとして、現在も高い人気を誇っています。
笠置シズ子は、入団当初は端役でしたが、入団5年目の「春の踊り」でコミックソングを歌い、道化の娘・ポンポンサー役で人気を集め始めました。
様々な役を完璧にこなせるよう努力を重ね、代役の機会を逃さず、実力を認められていきました。
1938年、笠置シズ子は東京の松竹楽劇団にスカウトされ、大阪を離れ上京。
そこで作曲家の服部良一氏と出会い、運命の出会いを果たします。
服部良一氏は笠置シズ子の才能を見抜き、徹底的にジャズを体にしみこませました。
こうして笠置シズ子は、ブギの女王として大スターへと成長していきました。
ええ~っ!? めっちゃエモい話やん!
戦時下の苦難と歌手活動の休止
戦時中の厳しい状況下でも音楽への情熱を燃やしていた笠置シヅ子さん。
公開日:2023/11/28
✅ 戦時中の日本で、ジャズ音楽は「敵性音楽」とみなされ、ジャズバンドやジャズ歌手は厳しい弾圧を受けた。
✅ 松竹楽劇団は、ジャズを取り入れたレビューやショーを上演していたが、当局の締め付けにより、戦時中はジャズを演奏することができなくなり、昭和16年(1941年)に解散した。
✅ ジャズ歌手として人気を博した笠置シヅ子は、「敵性歌手」のレッテルを貼られ、ステージでの活動が制限された。
さらに読む ⇒草の実堂 - 色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/boogiewoogie/76642/笠置シヅ子さんの音楽への情熱は、戦時中も決して消えることはありませんでした。
1938年、笠置シズ子は東京の松竹楽劇団に移籍し、東京の梅丸楽劇団(UGD)で活動を始めました。
この時期、笠置シズ子は服部良一氏からジャズを学び、ブギウギを得意とするようになりました。
1941年、太平洋戦争が勃発し、松竹楽劇団は解散。
ジャズなどの敵性音楽が禁止され、笠置シズ子は厳しい状況に置かれました。
ステージ用の派手な衣装や化粧にもクレームがつき、笠置シズ子は軍から目をつけられます。
陽気な歌やオーバーな表現も規制され、直立不動で歌うことを強制されました。
笠置シズ子は、この状況を「惨めだった」と語っています。
1944年、笠置シズ子はマネージャーの都合により「笠置シヅ子とその楽団」を解散せざるを得なくなり、歌手活動を休止しました。
マジかよ… 戦争って音楽も奪うもんなんやな。
戦後の復活と晩年
戦後、再びブギの女王として活躍した笠置シヅ子さん。
公開日:2024/03/12
✅ 「J-POP LEGEND CAFE」は、音楽評論家・田家秀樹が10年目を迎えた「J-POP LEGEND FORUM」をリニューアルした番組で、日本の音楽界の伝説的な存在に迫る特集を行っている。
✅ 12月の特集は「笠置シヅ子と服部良一」で、戦前から戦後にかけて日本のポップ音楽を牽引した2人に焦点を当てる。
✅ ゲストに日本大学の教授・刑部芳則を迎え、笠置シヅ子と服部良一の楽曲を解説しながら、彼らの歴史や影響力について掘り下げる。
さらに読む ⇒マイナビニュース出典/画像元: https://news.mynavi.jp/article/20240312-2904147/笠置シヅ子さんの人生は、まさにドラマティックですね。
1948年、服部良一作曲の「東京ブギウギ」がヒットし、笠置シズ子は歌手活動を再開。
戦後、笠置シズ子は再びブギの女王として活躍し、1950年には服部良一と共にアメリカ横断公演ツアーを行い、大きな成功を収めました。
プライベートでは、吉本穎右と交際し、1947年に娘のエイ子を出産しました。
しかし、穎右は結核で亡くなり、笠置シズ子はシングルマザーとして娘を育てました。
1957年、笠置シズ子は歌手を廃業し、女優活動に専念しました。
晩年は、TBS「家族そろって歌合戦」の審査員や、カネヨ石鹸のCM出演など、幅広く活躍しました。
1985年、笠置シズ子は卵巣癌のため70歳で亡くなりました。
おばあちゃん、卵巣癌って怖いけど、笠置シヅ子さんは最後まで輝いてたみたいね!
『ブギウギ』をより深く楽しむために
笠置シヅ子さんの魅力をさらに深く味わいたい方は、ぜひこれらの書籍を読んでみてください。
公開日:2023/10/31
✅ 「ブギウギ」の主人公モデル、戦後大スター笠置シヅ子の評伝本が文庫化。
✅ 東大総長・南原繁による出生の秘密、服部良一との出会い、美空ひばりとの因縁など、知られざる真実が明らかに。
✅ 当時の関係者への徹底取材で、ドラマでは描かれない驚愕のエピソード満載。
さらに読む ⇒本好きが集うニュースメディア - BookLink出典/画像元: https://book-link.jp/media/archives/9827当時の関係者への徹底取材で、ドラマでは描かれない驚愕のエピソードが満載とのことです。
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』は、笠置シズ子の人生を題材とした作品です。
同ドラマ鑑賞の手助けとなる書籍を2冊紹介します。
まず、笠置シヅ子自身の半生記である『笠置シヅ子自伝歌う自画像私のブギウギ伝記』(宝島社)は、1948年に出版されたオリジナル版の復刻版です。
この自伝は、笠置がゴーストライターの助けを借りながら、多忙な日々の中で執筆したもので、彼女の生い立ちから「ブギの女王」として活躍した日々、そして娘への愛情などが赤裸々に語られています。
一方、砂古口早苗の『ブギの女王・笠置シヅ子心ズキズキワクワクああしんど』(潮文庫)は、笠置の初の評伝であり、『ブギウギ』のドラマ制作において重要な参考資料となったと考えられています。
本書は、笠置の半生を、占領下から戦後という時代背景を踏まえつつ、服部良一やエノケン、美空ひばりなど、彼女の人生に深く関わった人物との関係性もあわせて描いています。
特に、笠置と美空の複雑な関係については、従来の噂話とは異なる解釈が提示されており、興味深い内容となっています。
『ブギウギ』をより深く楽しむために、ぜひこれらの書籍も参考にしてみてください。
おばあちゃん、ドラマの補足になる本は、よかろうもんね!
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』と笠置シヅ子の軌跡
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』のモデルとなった笠置シヅ子さんが所属していたOSK日本歌劇団。
公開日:2023/11/29
✅ NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で、ヒロインのモデルである笠置シヅ子が所属していた大阪のレビュー劇団「OSK日本歌劇団」が注目を集めている。
✅ OSKは親会社の支援打ち切り、一時解散という危機を乗り越え、2022年に創立100周年を迎えた。現在は大阪市のIT企業「ネクストウェア」が支援している。
✅ IT企業がなぜ歌劇を支援するのか、ネクストウェアとOSKの社長である豊田崇克さんと、ブギウギにも出演する男役スターの翼和希さんがOSKの魅力について語った。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20231025/k00/00m/200/198000cOSK日本歌劇団の歴史と魅力が、改めて伝わってきます。
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』に登場する「梅丸少女歌劇団」は、現在のOSK日本歌劇団がモデルと考えられます。
OSK日本歌劇団は1922年に松竹楽劇部として誕生し、その後、大阪松竹少女楽劇部(OSSK)として発展しました。
ドラマでは、ヒロインの花田鈴子が1927年に梅丸少女歌劇団生徒養成所に入団しますが、これは笠置シヅ子さんが実際に1927年に13歳で松竹楽劇部に入団した事実と一致しています。
笠置さんは「新日本八景」レビューで「三笠静子」の名前でデビューし、その後芸名を「笠置シヅ子」に変更しました。
笠置さんは1937年ごろまで松竹楽劇部で活躍した後、歌手活動に転身し、東京の松竹楽劇団に移りました。
この頃に作曲家の服部良一氏と出会い、1938年から東京の梅丸楽劇団(UGD)で活動したと考えられています。
ドラマに登場する秋山美月(伊原六花さん)は、秋月美恵子さんがモデルと考えられ、笠置さんの東京公演にも参加していました。
また、ドラマでは福来スズ子も、秋山美月とともに1938年から東京の梅丸楽劇団に参加したとされています。
OSKって今も続いとるんや! 知らんかったわ。
笠置シヅ子さんの波乱万丈な人生、そしてブギウギの魅力を少しでもお伝えできたかと思います。
💡 戦後のブギウギブームを牽引した笠置シヅ子さんの人生を紹介します。
💡 笠置シヅ子さんが戦時中に経験した苦難や復活、そして晩年について解説します。
💡 笠置シヅ子さんの楽曲や人生について、さらに知りたい方は、ぜひ関連書籍をご覧ください。