笠置シヅ子と服部良一、戦後ブギウギブームの秘密?ブギウギとジャズが織りなす戦後日本の音楽史とは!?
💡 1940年代後半に日本中でブームを巻き起こした「ブギウギ」は、笠置シヅ子と服部良一によって生み出されたものだった。
💡 笠置シヅ子は戦後の混乱期に、人々を元気づける存在として、「ブギの女王」と呼ばれた。
💡 本記事では、二人の功績と、当時の日本の音楽シーンを紐解いていく。
それでは、笠置シヅ子と服部良一の活躍について、詳しく見ていきましょう。
ブギウギとジャズ
戦前・戦後の日本の音楽史において、笠置シヅ子と服部良一は、まさに中心人物と言えるでしょう。
公開日:2023/10/10
✅ この記事は、戦前・戦後の日本の大衆音楽史における笠置シヅ子と服部良一という2人の重要人物の功績に焦点を当て、従来の音楽史観への異議申し立てを行っています。
✅ 笠置は大阪松竹楽劇部出身で、歌と踊りの才能で頭角を現し、服部は大阪でジャズに触れ、道頓堀ジャズの流行に影響を受けながら、作曲家として活躍しました。
✅ 2人の活躍は、東京中心の文化史観だけでなく、洋楽重視の近代音楽史観や娯楽的な歌や踊りの軽視といった通念に挑戦するものであり、日本の大衆音楽史における「リズム音曲」という独自の娯楽文化の重要性を示しています。
さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02332/彼らの活躍は、日本の大衆音楽史における「リズム音曲」という独自の娯楽文化の重要性を示している、と私は考えています。
1948年、笠置シヅ子は「東京ブギウギ」を歌い、日本全国にブームを巻き起こしました。
彼女は「ブギの女王」と呼ばれ、数多くのブギウギ楽曲をリリースしました。
一方、アメリカではチャーリー・パーカーを筆頭にビバップが全盛期を迎え、マイルス・デイヴィスは新たなサウンドを追求していました。
多くのジャズミュージシャンが活躍し、新たな音楽を生み出していました。
しかし、日本ではビバップ以降のモダン・ジャズが広く知られるようになったのは、1952年のジーン・クルーパの来日公演がきっかけでした。
クルーパの「ドラム・ブギー」は、日本の人々に「ブギー」という音楽ジャンルの広がりを告げました。
笠置シヅ子と服部良一が生み出した「ブギウギ」は、歌謡曲という枠組みの中で、後の日本のジャズ・ブームの基礎を築いたと言えるでしょう。
へぇー、知らんかったわ。昔の音楽って、めっちゃ奥深いんやな。
「ジャズカルメン」とシヅ子の悲劇
笠置シヅ子は、妊娠中の状態でも舞台に立ち続け、観客を魅了したんですね。
公開日:2024/01/29
✅ 妊娠6ヶ月の福来スズ子(趣里)は、作曲家・羽鳥善一(草なぎ剛)が音楽監修する舞台「ジャズカルメン」で熱演し、満員の観客を魅了した。
✅ スズ子の妊娠がバレ、ゴシップ記事が出たものの、スズ子は気にせず本番に臨み、観客の拍手と歓声を浴びた。
✅ 舞台「ジャズカルメン」は、観客の心を掴み、X(旧ツイッター)でトレンド入りするなど、大きな話題を集めた。
さらに読む ⇒iza(イザ!)総合ニュースサイト:産経デジタル出典/画像元: https://www.iza.ne.jp/article/20240129-4L6FQNKADJBU3PSRPZSN2JZ5BY/スズ子が舞台で輝いている姿は、見ている私たちも感動してしまいます。
1947年、笠置シヅ子は妊娠中の状態でジャズミュージカル「ジャズカルメン」に出演しました。
この舞台は、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』のヒロインのモデルとなった実話に基づいています。
劇中では、オペラ「カルメン」のアリア「ハバネラ(恋は野の鳥)」を歌います。
当時、笠置シヅ子は恋人・吉本穎右との子を身ごもり、妊娠5ヶ月目の状態で舞台に立ちました。
しかし、穎右は肺結核が悪化し、公演直前に実家に帰郷。
その後、24歳の若さで亡くなってしまいます。
シヅ子は舞台を無事に終え、同年6月1日に長女のヱイ子を出産しました。
うっわ、妊娠しながら舞台なんて、マジですごい!
笠置シヅ子の音楽と特設ホームページ
笠置シヅ子の音楽を聴くことができるのは、とても貴重な体験ですね。
✅ NHKは、2024年2月16日に、新たに「NHKオンデマンド」で配信される「連続ドラマW 〜家族のはなし〜」の予告編を公開しました。
✅ このドラマは、2022年6月に出された「家族のはなし」というタイトルの書籍を原作としており、3,300円の価格で配信されます。
✅ ドラマの内容は、家族の絆や葛藤を描いたもので、不倫、DV、自殺など、現代社会で起こりうる問題が描かれているため、視聴者からは賛否両論の声が上がっています。
さらに読む ⇒PHILE WEB�bAV/�I��f�B�I/�K�W�F�b�g出典/画像元: https://www.phileweb.com/sp/interview/article/202402/16/968.htmlドラマのオリジナル・サウンドトラックも楽しみですね。
笠置シヅ子は昭和9年(1934)年にレコードデビューし、昭和31年(1956)年に引退するまで、数々の楽曲をコロムビアに残しました。
特設ホームページでは、彼女の代表曲である『東京ブギウギ』をはじめとするブギウギ楽曲を紹介しています。
また、ドラマのオリジナル・サウンドトラックの配信情報や、劇中歌を収録したアルバムの発売情報なども発信しています。
さらに、楽曲解説では、各楽曲の背景や歌詞の面白さ、笠置シヅ子の歌唱力など、魅力的な情報が満載です。
おばあちゃん、それ、若い頃の歌謡曲みたいやな。
笠置シヅ子の波乱万丈な人生
戦後日本の混乱期に、笠置シヅ子は多くの人々に勇気を与えていたんですね。
公開日:2023/10/06
✅ 「ブギの女王」と呼ばれた昭和の大スター、笠置シヅ子の生涯を描いた書籍「笠置シヅ子 その言葉と人生」が出版され、NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の放送開始と合わせて注目を集めている。
✅ 本書では、関係者のインタビューや笠置シヅ子の一人娘による監修のもと、貴重な写真などを掲載し、彼女の言葉を通して華やかな舞台裏だけでなく、生い立ちや母の愛情、愛する人との別れ、戦時中の苦難など、複雑な人生の影もあぶり出している。
✅ 「東京ブギウギ」の誕生秘話や、美空ひばりとのかかわりなど、これまであまり知られていなかったエピソードも紹介されており、戦後の混乱期に人々を元気づけた笠置シヅ子の魅力と人間像に迫ることができる。
さらに読む ⇒BOOKウォッチ出典/画像元: https://books.j-cast.com/topics/2023/10/06022049.html本書は、笠置シヅ子の複雑な人生を丁寧に描いた作品で、彼女の功績と人間像を改めて理解することができます。
笠置シヅ子は戦前・戦後をとおして活躍した歌手です。
戦前はスウィング・ジャズの女王として人気を集め、戦時中は敵性歌手として活動を制限されました。
戦後は「東京ブギウギ」などのヒット曲を連発し、ブギの女王と呼ばれました。
その後は女優としても活躍し、大阪弁と明るいキャラクターで人気を博しました。
しかし、戦前・戦後あれほど人気を誇った歌手にもかかわらず、現在ではその名を知る人はあまりいません。
なぜ忘れられてしまったのでしょうか?。
なんか、昔のスターって、みんな波乱万丈な人生歩んできたんやな。
笠置シヅ子の輝かしい経歴
戦後日本の音楽シーンを、笠置シヅ子と服部良一の視点から見ることができ、非常に興味深い内容です。
✅ 本書は、ポピュラー音楽史研究の第一人者である輪島裕介氏が、服部家で長年眠っていた楽譜草稿などの貴重資料を渉猟し、戦前・戦後の芸能史における「ブギの女王」笠置シヅ子と「スウィングの申し子」服部良一のコンビの業績を詳細に分析したものです。
✅ 従来のレコード中心の批評通念に挑戦し、戦前と戦後を分断して考えるのではなく、笠置シヅ子と服部良一の音楽がどのように近代の芸能に影響を与えたのかを、「涙ぐましい」ほどの熱意で解き明かしています。
✅ 本書は、連続テレビ小説「ブギウギ」関連書の決定版として、笠置シヅ子と服部良一の音楽の魅力を、当時の社会背景や音楽シーンを交えながら解説しています。
さらに読む ⇒NHK出版出典/画像元: https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000887032023.html本書は、笠置シヅ子と服部良一の音楽の魅力を深く理解するために、重要な資料となるでしょう。
笠置シヅ子は1914年(大正3年)に生まれ、幼い頃から歌が大好きでした。
小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験しますが不合格になり、松竹楽劇部生徒養成所に入学しました。
1933年(昭和8年)に「三笠静子」の芸名で娘役としてデビューし、1935年(昭和10年)に「笠置シズ子」に改名しました。
1937年(昭和12年)、東京の松竹楽劇団に移籍し、作曲家・服部良一との出会いによって本格的なスウィング・ジャズ歌手として活動を始めました。
彼女の歌声とパフォーマンスはたちまち人気を博し、「スヰングの女王」と呼ばれるようになりました。
1939年(昭和14年)、東宝から引き抜きをされそうになりましたが、松竹に残ることになりました。
その後、服部良一の誘いで日本コロムビア専属歌手になりました。
戦後、「東京ブギウギ」などのヒット曲を連発し、ブギの女王として再び人気を博しました。
しかし、戦後もさまざまな困難に直面し、晩年は病気と闘いながら過ごしました。
1985年(昭和60年)、70歳で亡くなりました。
笠置シヅ子は戦前・戦後を通じて、日本の音楽史に大きな足跡を残した歌手です。
しかし、現在ではその名を知る人は少なく、彼女の功績は忘れられがちです。
彼女が戦前・戦後の激動の時代を生き抜き、数々の名曲を世に送り出したこと、そして多くの人々に笑顔と希望を与えたことを、私たちは決して忘れてはなりません。
へー、そうなんだ。笠置シヅ子って、すごい人なんだな。
笠置シヅ子と服部良一の活躍は、戦後の日本の音楽シーンに大きな影響を与えたと言えるでしょう。
💡 笠置シヅ子は、戦後の混乱期に「ブギウギ」という新たな音楽ジャンルを確立し、人々を元気づけた。
💡 服部良一は、作曲家として、笠置シヅ子の音楽を支え、戦後日本の音楽シーンを牽引した。
💡 二人の功績は、現在でも日本の音楽シーンに受け継がれている。