笠置シヅ子って誰?『ブギウギ』のモデルになった歌手の人生とは?戦後を代表する歌手の波乱万丈な人生とは!?
💡 戦後、日本でブギブームを巻き起こした歌手、笠置シヅ子の生涯を紹介
💡 「東京ブギウギ」などのヒット曲で一世を風靡した笠置シヅ子の軌跡
💡 NHK朝ドラ『ブギウギ』のモデルとなった笠置シヅ子の知られざる物語
それでは、笠置シヅ子の人生を紐解いていきましょう。
笠置シヅ子の誕生とデビュー
笠置シヅ子さんの人生、波乱万丈だったんですね。
公開日:2024/09/13
![音楽の部屋](https://academic-box.com/imgs/ab/1218137/1.webp)
✅ この記事は、2023年10月2日から放送開始されたNHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公モデルである笠置シヅ子について解説しています。
✅ 笠置シヅ子は戦後、服部良一作曲の「東京ブギウギ」が大ヒットし、「ブギの女王」と呼ばれました。彼女は戦前からその才能を認められており、その後も数々のブギソングをリリースし、ブギブームを牽引しました。
✅ 記事では、笠置シヅ子の代表曲や活躍について紹介しているほか、黒澤明や高峰秀子など、彼女と関係の深い人物についても触れられています。
さらに読む ⇒世界、日本の偉人たちをフリーイラストポートレートで紹介する歴史の停車場を目指して取り組んでいます出典/画像元: https://illuststation196.com/archives/14384宝塚音楽歌劇学校を目指したんですね。
身長が低かったのは意外でした。
香川県生まれの笠置シヅ子は、幼い頃から歌が大好きで、銭湯で客に歌や踊りを披露していました。
宝塚音楽歌劇学校を受験しますが、身長が低く痩せ型だったため不合格になります。
その後、松竹少女歌劇団の生徒養成所に合格し、「三笠静子」の芸名で娘役としてデビューしました。
1935年(昭和10年)に「笠置シヅ子」に改名します。
へぇー、宝塚落ちたんだ!なんでやねん!
スウィング・ジャズの女王として
戦後、ジャズが流行したんですね。
公開日:2023/12/18
![笠置シヅ子 ブギウギ伝説】デビューから10年後、服部良一と運命の出会い 個性的な歌唱に天賦の才…「スウィングの女王」誕生 佐藤利明氏による音楽評伝 (1/2ページ)](https://academic-box.com/imgs/ab/1218137/2.webp)
✅ 笠置シヅ子は、戦後「ブギの女王」と呼ばれ一世を風靡した歌手で、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」のヒロイン、福来スズ子のモデルとなっている。
✅ 笠置は、幼少期から松竹楽劇部で活躍し、その後、服部良一との出会いによってジャズ・ソングを歌い、東京のインテリ層から支持を得て「スウィングの女王」と呼ばれるようになった。
✅ ドラマでは、シングルマザーとして「東京ブギウギ」を歌った笠置の波瀾万丈な人生が描かれる。
さらに読む ⇒zakzak:夕刊フジ公式サイト出典/画像元: https://www.zakzak.co.jp/article/20231218-J5C2WTF45FKBDJUEMPEU73ASOU/服部良一との出会いが、笠置シヅ子さんの音楽人生を大きく変えたんですね。
1937年(昭和12年)、東京の松竹楽劇団に移籍し、作曲家・服部良一との出会いが、彼女の歌手人生を大きく変えました。
服部の指導の下、本格的なスウィング・ジャズ歌手として活躍を開始し、「スウィングの女王」と呼ばれます。
しかし、1939年(昭和14年)、東宝からの引き抜き騒動があり、シズ子は松竹に残ることになります。
同年、服部良一の誘いで日本コロムビア専属歌手になります。
え、服部先生と出会ったんか!それはすごい!
戦時下の苦難
戦時中は、ジャズが敵性音楽とされていたんですね。
![笠置シヅ子27歳〜ジャズが御法度とされた戦時中、警視庁が彼女に禁じたものとは?](https://academic-box.com/imgs/ab/1218137/3.webp)
✅ 笠置シヅ子は、戦時体制下においてジャズが敵性音楽とされ、激しいダンスと歌で当局から注意を受けるなど、厳しい状況に置かれた。
✅ しかし、作曲家・服部良一との出会いにより、彼女はジャズを歌謡曲に取り入れ、戦時中も活動を続け、戦後の歌謡界を牽引していくことになる。
✅ 服部は笠置シヅ子の才能を高く評価し、彼女が舞台で歌い踊る姿に強い衝撃を受け、戦時中に東南アジアを舞台にした曲を提供するなど、笠置シヅ子の活動を支えた。
さらに読む ⇒TAP the POP出典/画像元: https://www.tapthepop.net/story/70616厳しい状況の中、活動を続けられたのは素晴らしいですね。
1937年(昭和12年)からの日中戦争、そして1941年(昭和16年)の太平洋戦争勃発により、ジャズなどの米英音楽は「敵性音楽」とされ、笠置シヅ子さんは「敵性歌手」として当局から厳しい監視下に置かれました。
具体的な制限としては、ジャズ歌唱や演奏の禁止、派手なパフォーマンスの禁止、つけまつ毛の禁止などが挙げられます。
舞台での活動は「三尺四方」という狭い範囲に制限され、笠置シヅ子さんのトレードマークであるダンスも封印せざるを得ませんでした。
戦時中は、ジャズだけでなく、英語などの「敵性語」も使用が禁じられ、日本の文化や娯楽は大きく制限されました。
政府は、国民の戦意高揚を目的とし、軍国主義的な歌謡曲を推奨し、国民の精神統一を図ろうとしたのです。
戦時下の芸能界は、時代の流れに翻弄され、多くの芸能人が活動を制限されたり、解散を余儀なくされたりしました。
戦争ってホンマに色々あるんやなぁ。
ブギの女王の栄光と忘れられた存在
戦後、ブギウギが流行ったんですね。
![美空ひばり゛は世に出てこなかった? 朝ドラ『ブギウギ』のモデル・笠置シヅ子の『東京ブギウギ』、敗戦に沈む日本人に活力を与えた陽気な歌の伝説](https://academic-box.com/imgs/ab/1218137/4.webp)
✅ 「ブギウギ」は、戦後の大スター・笠置シヅ子をモデルにしたNHK連続テレビ小説で、戦後、焼け野原になった日本に活力を与えた「ブギの女王」笠置シヅ子の伝説を描いています。
✅ 戦後、敗戦の悲嘆に沈む日本人に力強い音楽を提供したいと考えていた作曲家・服部良一は、焼け跡の銀座で偶然聴いたブルースからインスピレーションを受け、ジャズ評論家・作詞家の野川香文の助言により、明るいブギウギという音楽形式を採用することを決断しました。
✅ 服部良一は、戦時中にアメリカの音楽を聴くことが禁止されていたにも関わらず、アンドリュー・シスターズのヒット曲「ビューグル・コール・ブギウギ」の楽譜を入手し、ブギウギと出会っていました。ブギウギは、ブルースから派生したダンス音楽であり、その特徴的なリズムはロックンロールの原型と言えるものです。
さらに読む ⇒集英社オンライン出典/画像元: https://shueisha.online/articles/-/164054笠置シヅ子さんの「東京ブギウギ」は、戦後の人々に希望を与えたんですね。
戦後は「東京ブギウギ」などのヒット曲を連発し、「ブギの女王」と呼ばれ、さらに女優としても活躍しました。
しかし、晩年は忘れられた存在となり、名前を知っていても「美空ひばりをいじめた人」や「大阪弁の面白いおばちゃん」程度の認識しかありません。
なぜ笠置シヅ子は忘れられてしまったのでしょうか?。
えー、忘れられてたんや!なんでやねん!
『ブギウギ』で描かれるスズ子の成長と楽曲たち
『ブギウギ』では、スズ子が様々な楽曲を歌いながら成長していくんですね。
公開日:2023/11/17
![朝ドラ「ブギウギ」スズ子(趣里)「センチメンタル・ダイナ」熱唱のフル動画にうっとり「心に響く」「羽鳥先生もノリノリ」](https://academic-box.com/imgs/ab/1218137/5.webp)
✅ NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で、主人公の福来スズ子(趣里)が歌った新曲「センチメンタル・ダイナ」の特別編集版が公開され、さらに番組の公式ユーチューブチャンネルではフルバージョンがアップされた。
✅ フルバージョンでは、ブルース調の歌い出しから始まり、大人なスズ子を感じさせる内容となっている。また、アップテンポになる中盤では、激しく踊るスズ子を優しく見守りながら指揮を振る羽鳥(草なぎ剛)の姿も確認できる。
✅ SNSでは、スズ子の成長ぶりを実感した視聴者の声や、草なぎの熱演に注目する視聴者の声が多数寄せられた。
さらに読む ⇒iza(イザ!)総合ニュースサイト:産経デジタル出典/画像元: https://www.iza.ne.jp/article/20231117-JOFYBWWQOVB7ZKMEOFLC6NYD4A/スズ子の歌声は、時代背景を反映していて、とても心に響きますね。
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』では、スズ子が゛スウィングの女王゛から゛ブギの女王゛へと成長していく過程が、楽曲を通して描かれています。
最初に披露されたのは、善一との出会いをきっかけに生まれた「ラッパと娘」です。
USKで培った歌唱法から脱却し、スズ子は自分の才能を開花させました。
その後、様々な困難に立ち向かう中で生まれたのが「センチメンタル・ダイナ」です。
失恋の歌のように聞こえますが、悲しみを乗り越えて、再び奮起していく決意を歌っているとも解釈できます。
最愛の弟・六郎への思いを歌った「大空の弟」は、戦争の残酷さを痛感させながらも、希望を捨てずに生きようとするスズ子の強い意志を感じさせる楽曲です。
戦時中の苦しみを少しでも和らげようと作曲された「アイレ可愛や」は、オリエンタルなリズムで聴く人の心を明るくします。
そして、戦後の日本で希望の光を求める人々に届けられたのが「コペカチータ」です。
ラテンのリズムを取り入れた楽曲で、スズ子の新たな魅力を感じさせる作品です。
これらの楽曲は、スズ子の成長と時代背景を反映しており、視聴者に様々な感情を呼び起こす力を持っていると言えるでしょう。
スズ子の成長、ホンマにすごい!
笠置シヅ子さんの人生は、まさにドラマティックですね。
💡 笠置シヅ子は戦後「ブギの女王」として活躍し、日本の音楽史に大きな足跡を残した。
💡 戦時中の苦難を乗り越え、戦後も歌い続け、多くの人々に希望を与えた。
💡 晩年は忘れられた存在となったが、『ブギウギ』によって再び注目を集めている。