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鎌倉幕府の権力闘争に翻弄された女、牧の方って誰?鎌倉幕府の権力闘争とは!?

鎌倉幕府の権力闘争に翻弄された女、牧の方って誰?鎌倉幕府の権力闘争とは!?

📘 この記事で分かる事!

💡 鎌倉幕府の権力闘争に巻き込まれた牧の方の人生について解説

💡 ドラマ『鎌倉殿の13人』での牧の方の描写について解説

💡 史実とドラマ『鎌倉殿の13人』における牧方の比較検討

それでは、北条時政の妻である牧の方について詳しく解説して行きます。

鎌倉幕府の権力闘争に翻弄された女、牧の方

Chapter-1では、牧の方の出自や性格、そして鎌倉幕府における彼女の役割について詳しく解説していきます。

牧の方とは?わかりやすく人物解説!宮沢りえ演じる女性は悪女なのか【鎌倉殿の13人予習シリーズ】
牧の方とは?わかりやすく人物解説!宮沢りえ演じる女性は悪女なのか【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

✅ 牧の方(北条時政の妻)は、駿河国大岡牧の豪族・牧氏の娘で、京都に太いパイプを持つ家柄出身だった。

✅ 彼女は、時政の政治手腕を助ける一方で、告げ口や謀略などによって、畠山重忠の乱や実朝暗殺を企てているとの噂を広め、時政と自身の失脚に繋がった。

✅ ドラマ『鎌倉殿の13人』では宮沢りえが演じる予定で、彼女の野心と策略が物語にどのような影響を与えるのか、注目が集まっている。

さらに読む ⇒和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!出典/画像元: https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/153925/

牧の方の生き様は、権力と策略が渦巻く鎌倉幕府における女性の姿を如実に表しています。

鎌倉幕府の創設に貢献した北条時政の継室である牧の方(まきのかた)は、実名は不明ですが、鎌倉幕府の権力闘争に深く関与しました。

勝気で傲慢な性格とされ、夫である北条時政とは年齢差があったと伝えられています。

牧の方は、北条時政との間に、4人の子供をもうけました。

彼女は、北条時政と共に、源頼朝の側室である亀の前を疎み、源頼朝からの激怒を招き、北条一族は伊豆に引き揚げる事態に追い込まれました。

その後、北条時政は権力を掌握し、源頼家を幽閉、殺害するに至ります。

また、畠山重忠の乱では、娘婿である平賀朝雅の訴えを聞き入れ、畠山重忠親子を謀反の疑いがあるとして討伐に突き進ませました。

更に、北条時政と牧方は、源実朝を殺害し、平賀朝雅を新将軍に擁立しようと企てますが、北条政子の知るところとなり、計画は失敗に終わります。

最終的に、北条時政と牧方は鎌倉幕府内で孤立し、権力から追放されました。

えー、めっちゃ怖い!でも、ちょっと興味湧いたわ!

権力への執着と失敗

Chapter-2では、牧の方の権力への執着と、その結果として起こった悲劇について解説していきます。

なぜ時政の後妻・牧の方は悪女とされる?鎌倉幕府を揺るがす牧氏事件

公開日:2024/02/04

なぜ時政の後妻・牧の方は悪女とされる?鎌倉幕府を揺るがす牧氏事件

✅ この記事は、鎌倉幕府の北条時政の後妻である牧の方の人生について、史実とドラマ「鎌倉殿の13人」における描写を比較しながら解説しています。

✅ 牧の方は、ドラマでは貴族出身であることを示す衣装を着ており、史実では、夫である時政との間に一男三女をもうけ、彼女の存在は北条家の価値を高めたとされています。

✅ 記事では、牧の方の出自や年齢、時政との子供たち、そして「牧氏事件」と呼ばれる事件が起きた経緯などが詳しく解説されており、ドラマとの差異も指摘されています。

さらに読む ⇒ BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)出典/画像元: https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2024/02/04/166044

牧の方の権力への執着は、結果的に北条家を混乱に陥れたと言えるでしょう。

牧の方(りく)は、北条時政の継室として、北条家当主の座を我が子である北条政範に継がせようとしました。

そのために、夫である北条時政を操り、北条義時を分家扱いとし、北条家から排除しようとしたり、娘婿である平賀朝雅を鎌倉殿にしようと企てたり、源実朝暗殺を企てたりするなど、権力への執着を見せました。

しかし、これらの企ては、いずれも失敗し、最終的には北条時政の先妻派閥である北条政子、北条義時らによって出家させられてしまいました。

おー、なかなかドラマチックな展開やないか!

時政失脚の真相

Chapter-3では、北条時政の失脚に繋がった「畠山重忠の乱」について詳しく解説していきます。

牧氏事件~北条義時公はなぜ、父・時政を追放したのか
牧氏事件~北条義時公はなぜ、父・時政を追放したのか

✅ 北条時政の継室・牧の方の讒言によって、畠山重忠が謀叛の疑いをかけられ、討伐された「畠山重忠の乱」の経緯について解説しています。

✅ 牧の方の父・宗親を頼朝公が叱責した「亀の前事件」で、時政公が鎌倉から伊豆に立ち退いた経緯と、義時公が鎌倉に残ったことで頼朝公から称賛されたことが書かれています。

✅ 時政公は、後妻の牧の方の子である政範に北条家を継がせようと考えていた可能性があり、義時公との間に微妙なすれ違いがあったこと、そして、時政公は義時公ではなく、牧の方の娘婿である平賀朝雅を重用していたことから、義時公は疎外感を抱いていた可能性も示唆されています。

さらに読む ⇒北条高時.com出典/画像元: https://hojo-shikken.com/entry/2013/08/13/000000

畠山重忠の乱は、鎌倉幕府初期の権力闘争の象徴的な事件と言えるでしょう。

北条時政は鎌倉幕府創建の立役者でありながら、息子の義時に鎌倉を追われた。

時政失脚の背景には、畠山重忠との対立があり、一連の出来事として捉えるのが自然である。

しかし、時政の失脚の原因は、牧の方の悪行とする解釈には疑問が残る。

教養のない武士層にも理解しやすいように、時政の失脚を牧の方の悪行と単純化している可能性があるからだ。

時政と重忠の対立は、時政の疑心暗鬼が招いたもので、真相は不明である。

時政はもともと伊豆の弱小武士であり、権力を掌握したことで、その重圧に苦しんでいた可能性もある。

一方、義時は鎌倉に来た頃は10代であり、頼朝のもとで政治を学んだ。

世代間での考え方の違いが、時政と義時との対立を生み出したとも考えられる。

畠山の乱から時政失脚に至る事件の本質は、世代間の権力闘争であったと筆者は考えている。

あー、なるほどね。この時代に生きてたら、相当大変やったろうね。

晩年のりく

Chapter-4では、牧の方の晩年について解説していきます。

鎌倉殿」悪女りく、怒り怒濤の反撃→自業自得で失脚末路のはずが ネット「理不尽だ」伝わる余生は/芸能/デイリースポーツ online
鎌倉殿」悪女りく、怒り怒濤の反撃→自業自得で失脚末路のはずが ネット「理不尽だ」伝わる余生は/芸能/デイリースポーツ online

✅ 第37回「オンベレブンビンバ」では、北条時政と妻りくの横暴がついに御家人の反発を招き、義時が父時政に政権からの退陣を求めます。しかし、時政とりくは反撃に出るため、鎌倉はさらに混乱を深めます。

✅ 特に、りくは源実朝を引きずり下ろし、平賀朝雅を鎌倉殿にしようと画策しており、宮沢りえの怪演により、悪役としての存在感が増しています。

✅ 一方、時政の後妻である牧の方は、ドラマではどのように描かれるのか注目されています。歴史上では、京に戻って余生を送ったとも、時政の十三回忌を営んだり、寺社参詣していたとも言われており、ドラマでの彼女の描写がどうなるのか、視聴者からの関心も高いです。

さらに読む ⇒デイリースポーツ online出典/画像元: https://www.daily.co.jp/gossip/2022/09/20/0015656469.shtml

牧の方の晩年は、夫である北条時政の失脚によって大きく変わりました。

北条時政の妻、りく(牧の方)は、夫の失脚後、伊豆に追放され、その後京の娘夫婦のもとへ移り住みました。

藤原定家の日記「明月記」によると、彼女は京で贅沢に暮らし、たびたび鎌倉を訪れていたことがわかります。

りくの死因や享年は明らかではありませんが、「明月記」の記録から1229年4月に亡くなったと推測されています。

彼女は夫の時政よりも14年も長く生き、北条政子や義時をも凌駕する長寿を全うしました。

りくは、晩年を娘夫婦と孫たちに囲まれ、比較的穏やかな最期を迎えたとされています。

夫の時政が死後、泰時に冷遇されたことと対照的に、りくは晩年を比較的自由に過ごし、娘夫婦に支えられながら人生を終えた様子が伺えます。

えー、めっちゃ気になる!

ドラマ『鎌倉殿の13人』におけるりく

Chapter-5では、ドラマ『鎌倉殿の13人』における牧の方の描写について解説していきます。

史実と照らし合わせる『鎌倉殿の13人』 北条時政を陰で操る妻・りくはどこでしくじったのか
史実と照らし合わせる『鎌倉殿の13人』 北条時政を陰で操る妻・りくはどこでしくじったのか

✅ 鎌倉幕府第2代将軍・源頼家は、比企一族滅亡後も過酷な運命を辿り、伊豆に流された後、入浴中に刺客に襲われ殺害された。頼朝の嫡男の危険性を恐れた時政による暗殺とされ、征夷大将軍の中で最も残酷な死に方であったと言われている。

✅ 北条時政の妻・りくは、夫が権力を握ると、実子や娘婿を更に出世させようと画策し、そのために畠山重忠を討伐させたり、実朝の暗殺をも企てた。この行動が義時と政子との確執を深め、最終的に時政とりくは追放される「牧氏の変」へと繋がった。

✅ りくは時政の先妻の子が力を持つことを焦り、夫や自分が産んだ子だけで権力を握ろうとして暴走した゛悪女゛である一方で、夫や家族のために必死になる人間味も持ち合わせていた。宮沢りえによるりくの演じ分けは、策謀家でありながら可愛らしさもある魅力的なキャラクターとして描かれ、時政がメロメロになるのも納得できるとしている。

さらに読む ⇒NEWSポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20220819_1785290.html?DETAIL

宮沢りえさんの演じる牧の方の悪女ぶりが最高ですね!。

宮沢りえ演じるりくは、『鎌倉殿の13人』において、視聴者から高い評価を得ています。

視聴者からは、りくの凛とした美しさ、誇り高さ、時政への愛情、そして鎌倉での生活への適応力など、様々な魅力が指摘されています。

りくの悪女としての側面も評価されており、その妖艶さや策略、そして狂気を感じさせる演技は、視聴者に強いインパクトを与えたようです。

特に、時政が亡くなった際の寂しさを感じさせつつも、彼を愛した男として誇らしく思っているようなりくの姿は、視聴者の心を打ったようです。

宮沢りえは、りくという役柄を見事に演じ切り、視聴者からの高い評価を獲得しました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する「りく」こと【牧の方】は、北条時政の後妻で、義理の息子である北条義時の義理の母親にあたる人物です。

彼女は都から時政に迎えられ、伊豆に下りました。

都に戻ることを夢見て、夫である時政の野心をあおる策略家として描かれており、その悪女ぶりが視聴者の間で話題となっています。

ドラマでは、時政に溺愛され、夫の権力欲を煽ることによって、鎌倉幕府の運命を大きく左右する存在として描かれています。

視聴者からは「嫌い」という声も多数上がっていますが、その悪女ぶりが視聴者の心を掴んで離さない魅力となっています。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、比企一族滅亡後、源頼家の悲劇的な最期と北条時政の妻・りくの権力闘争における失敗に焦点を当てています。

歴史学者・細川重男氏によると、頼家は伊豆に流された後、時政の命を受けた刺客によって殺害されたとされ、その残忍な死に方は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の嫡男が敵対勢力に落ちることを恐れた時政の策略を示唆しています。

一方、りくは時政を操り、実子を後継者にしようと画策しますが、畠山重忠の討伐や実朝暗殺計画など、自身の欲望と焦りが仇となり、時政とともに追放されてしまいます。

時代劇研究家のペリー荻野氏は、りくを「女の嫉妬」に駆られた「悪女」と評し、夫や家族のために必死になる人間味も併せ持つキャラクターであると分析しています。

宮沢りえ演じるりくは、策謀家でありながら可愛らしさも見せる魅力的な人物として描かれ、時政がメロメロになる理由もうなずけます。

めっちゃ怖いけど、ちょっと見てみたい!

この記事では、鎌倉幕府の権力闘争に翻弄された牧の方の人生について解説しました。

🚩 結論!

💡 牧の方は、北条時政の継室として鎌倉幕府に大きな影響を与えた

💡 牧方は、権力への執着が強すぎたために、最終的には失脚した

💡 ドラマ『鎌倉殿の13人』における牧方の描写は、史実に基づいている部分もある一方で、フィクションが加えられている