ダンガンロンパV3の世界観に迫る!賛否両論の結末を考察
こんにちは、ライターのAnnaです。今回は、ダンガンロンパV3の世界観に迫り、賛否両論の結末を考察していきます。
V3の提示した真実による影響
V3の提示した真実によって初代と2がもはやフィクションであり続けることはできないとはどういう意味ですか?
初代と2がもはやフィクションであり続けることはできないとは、V3の提示した真実によって、ダンガンロンパの世界が現実世界と干渉し、フィクションでいることが不可能になったことを意味します。
この記事は、ダンガンロンパというフィクションが現実世界との干渉によってフィクションでいることが不可能になったことを示しています。
V3の提示した真実によって初代と2がもはやフィクションであり続けることはできなくなり、現実世界と干渉しないフィクションとして完結していたことが変わりました。
この変化は不可逆であり、現実世界と干渉しないフィクションとして完結していた初代と2がもはやフィクションであり続けることはできなくなりました。
詳しくみる ⇒参照元: 私が賛否両論の『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ...真実と嘘の世界
最原は言った。「何が真実で何が嘘かなんて関係ない。何がフィクションで何が現実なんか関係ない。”真実”で世界が変わるように、”嘘”で世界が変わるなら…」ここで言う”変わる”とは何だろうか。
フィクションと現実の関係についての考察。
苗木誠の希望に、ナナミの犠牲に込められた純粋さは、「外からの思惑」によって奪われてしまった。
フィクションをフィクションとして楽しむことが不可能になってしまった。
最原は言った。
「何が真実で何が嘘かなんて関係ない。
何がフィクションで何が現実なんか関係ない。
”真実”で世界が変わるように、”嘘”で世界が変わるなら…」ここで言う”変わる”とは何だろうか。
私は変わると一口に言っても、そこには二つの方法があるように思われる。
「間接的に影響する」のと「直接的に干渉する」のふたつだ。
先の批判に戻ってみよう。
(「初代と2でプレイヤーと主人公の言動の一致という、現実とフィクションの重なりを楽しんだくせにV3は否定するのか」)プレイヤーと主人公の言動の一致とはダンガンロンパというフィクションがフィクションとして収まっているうちは「間接的な影響」に分類されるだろう。
なぜならプレイヤーという現実はダンガンロンパ世界の蚊帳の外にあり、最後の選択がたまたまインタラクトとして成立したのに過ぎないのだから。
詳しくみる ⇒参照元: 私が賛否両論の『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ...才囚学園の世界設定
才囚学園は「ゲーム世界」か「現実世界」か?
才囚学園は「ゲーム世界」と推測されている。
開発側がダンガンロンパを盛り上げておきながら、プレイヤーに冷や水を浴びせかけるという姿勢が、「プレイヤーを馬鹿にしている」と受け取られる要因になったとも考えています。
本当に「丸投げ」で終わったゲームなのか?
否定的な意見の1つとして、V3が「未回収の謎や伏線を、プレイヤーの想像にゆだねた丸投げエンディング」を迎えてしまったことを挙げました。
しかし、この点について個人的には疑問があります。
はね「これでシリーズを完結させる」と決めたゲームで、未回収の謎や伏線を丸投げしたまま終わるのかな?
そんな適当なシナリオ作りをして終わらせてるのかな?
というのが引っかかっていたので、とりあえず気になる点を挙げて考えてみることにしました。
以下に謎や考察を書き散らしていきます。
チラシの裏を眺める感じでどうぞ。
V3エンディング後も残る謎まずは「未回収の伏線や謎」について。
自分は以下の2点が気になっています。
順に考えていきます。
謎1:才囚学園は「ゲーム世界」か「現実世界」か?
才囚学園は「ゲーム世界」と推測V3の「才囚学園」は、スーパーダンガンロンパ2で出てきた「新世界プログラム」と同様に、電子空間上の世界(ゲーム世界)なのではないか?
と考えています。
根拠は以下の2つです。
それぞれ詳しく書いていきます。
虫が存在しない「才囚学園」本編のシナリオでは、獄原ゴンタが才囚学園の中庭で虫を探す描写が2~3回ほど丁寧に描写されていました。
しかしながら、獄原は昆虫を見つけられません。
やっと見つけた虫…と思われたのは、6匹目のモノクマーズでした。
V3のシナリオ上では「才囚学園には昆虫が存在しない」と明示されているのです。
もし現実世界に「撮影セット」を用意したら、中庭は虫の天国になりそうですね…。
しかしながら、不自然なほどに昆虫が見つかりません。
繰り返される「獄原に昆虫が見つけられない」という描写は、才囚学園は電子空間上の世界(ゲーム世界)であるというプレイヤーに対するメッセージなのではないかと考えています。
キーボの不可解な設定プロローグの「着替え」のシーンも不自然な点があります。
キーボがロボットの体になったタイミングはいつなのか?
以下にプロローグの流れを書き出してみました。
詳しくみる ⇒参照元: ダンガンロンパV3のラストはひどい?エンディング後の謎を考察最原たちの正体は何か?
最原たちの正体は「生身の人間」か?それともゲーム世界でしか存在しない「架空のキャラクター」なのか?
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才囚学園が「ゲーム世界」の中にある可能性やキャラクター達の正体についての考察が述べられている。
また、夢野秘密子のキャラクターについて「うみねこのなく頃に」へのオマージュ要素についても言及されている。
さらに、V3キャラクター達の存在について、実在する生身の人間と同等のアバターなのか、それとも人工的な存在なのかについての考察も含まれている。
詳しくみる ⇒参照元: ダンガンロンパV3のラストはひどい?エンディング後の謎を考察ゲーム世界の演出の画期性
プレイヤーにとってゲームとして作られた世界を、今度は主人公に対してゲームの世界だと示す演出は画期的だった。
画期的な演出がプレイヤーにとって注目すべき箇所でした。
ダンガンロンパシリーズのゲーム体験について述べられており、特に2作目におけるキャラクターたちへの思い入れや3作目におけるアニメの影響、そしてV3作目についての著者の感想が述べられています。
また、ダンガンロンパの世界観についての著者の考えや、フィクションと現実の関係についての洞察も含まれています。
詳しくみる ⇒参照元: 私が賛否両論の『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ...キャラクターへの愛情を育む方法
キャラクターに愛情をもつための工夫とは?
キャラクターに愛情をもつための工夫とは、キャラクターを知りすぎないようにすることと、プロットを何度も書き直すことが重要です。
セミナーでは『ダンガンロンパ』シリーズ第1作を例に、キャラクターの作り方を具体的に紹介。
大量のキーワードを用意して、バックボーン、見た目、性格を決める方法論や、それによって生まれたキャラクターに意外な出来事を組み合わせて深みを出すテクニック、さらには制作中の裏話も披露。
質疑応答のコーナーでは、キャラクターに愛情をもつ方法についての質問が複数飛んだ。
現役のシナリオライターからは「他社IPの場合は問題ないが、オリジナルだとキャラクターが形作られていく解剖図のようなものを知ってしまっているので愛情がもちにくい」という悩み相談が。
キャラクターを知りすぎているから愛情がもてないのはよくあるパターンだという。
自身も似た悩みとして「プロットをシナリオに落とし込むときに、自分が書いたシナリオがつまらなく思えて仕方がない」と感じてしまうそうだ。
その解決法は何度も書き直すこと。
キャラクターのネーミングについての質問では「名前の響きを大事にしている」と回答した。
詳しくみる ⇒参照元: 『ダンガンロンパ』の生みの親・小高和剛氏が語る、魅力的な世界...