奈良時代の天然痘、その恐ろしさと人々の対策とは?聖武天皇の時代を襲った疫病の恐怖!!
💡 奈良時代に流行した天然痘は、当時の社会に大きな影響を与えました。
💡 人々は、疫病の蔓延を防ぐため、様々な対策を講じていました。
💡 天然痘は、聖武天皇の政治にも影響を与え、東大寺の大仏建立へとつながりました。
それでは、奈良時代の天然痘について詳しく見ていきましょう。
疫病の発生と影響
聖武天皇は、様々な困難に直面しながらも、仏教に帰依し、東大寺の大仏造立を始めたんですね。
✅ 聖武天皇は、藤原宮子大夫人称号事件や長屋王の変など、藤原氏との権力闘争に巻き込まれ、政治の実権を握ることが困難でした。
✅ 長屋王の変は、藤原四兄弟の謀略によるもので、長屋王は国家転覆を企てたという濡れ衣を着せられ、自害に追い込まれました。この事件は、藤原氏による権力掌握の象徴的な出来事であり、聖武天皇の権威が失墜したともいえます。
✅ 聖武天皇の治世には、734年の畿内七道地震や737年の天然痘の大流行など、多くの災害に見舞われました。こうした困難な状況の中で、聖武天皇は仏教に帰依し、東大寺の大仏造立を始めたと考えられています。
さらに読む ⇒にっぽん ってどんな国? | What is japan like?出典/画像元: https://jpnhist.com/archives/1386当時の疫病の流行は、人々の生活や社会に大きな影響を与えていたことが分かります。
西暦737年、天然痘とみられる疫病が日本に大流行し、平城京をはじめ多くの地域で多くの死者が出ました。
この疫病流行の背景には、平城京の人口増加や唐や新羅など諸外国との交流が活発であったことが関係していた可能性があります。
また、この疫病の大流行は、聖武天皇に遷都を決意させ、大仏建立へとつながったと言われています。
そうやね。昔は医療技術も発達しとらんかったけん、疫病が流行ると大変やったやろね。
まじないによる疫病対策
呪符木簡、興味深いですね。
公開日:2020/06/17
✅ 奈良文化財研究所・平城宮跡資料館で「古代のいのり―疫病退散!」展が開催され、奈良時代の天然痘流行時に作られた呪符木簡などが展示されている。
✅ 展示されている呪符木簡は、疫病退散の願いを込めて作られたもので、当時の疫病と闘った人々の思いが伝わってくる。
✅ 新型コロナウイルスの影響が続く中、古代の人々が疫病とどのように向き合っていたのかを知ることができる企画展となっている。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20200617/ddl/k29/040/362000c古代の人々が疫病退散を願って作った呪符木簡、現代でも何かしらの力を感じますね。
人々は天然痘の終息を願い、呪符を用いたまじないを行いました。
平城京左京二条二坊、三条二坊で見つかったゴミ捨て穴からは、天然痘の終息を願う呪符木簡が出土しました。
この呪符木簡には、「唐鬼」という文字が記されており、これは中国で天然痘の原因と考えられていた「瘧鬼」を指すと考えられています。
昔の人は、神様にお願いするしかなかったのよ。
食器の廃棄や人面墨書土器による予防対策
食器を使い回さないって、現代でも有効な対策ですよね。
✅ 天平7年(735年)に大宰府管内で発生した天然痘と思われる疫病は、翌年には一旦収束したものの、天平9年(737年)に再び流行し、平城京を含む日本全土に拡大した。
✅ 当時の平城京の人々は、疫病の蔓延を恐れて食器を使い回さないなど予防対策を行っており、疫病の終息を願う呪符を記した木簡なども出土している。
✅ 天然痘の大流行は聖武天皇の遷都を決意させた要因の一つともされており、その後、平城京では人面墨書土器を用いた新たな祭祀や燃灯供養が盛んに行われるようになった。
さらに読む ⇒奈良文化財研究所ホームページ出典/画像元: https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2020/05/20200515.html人面墨書土器、興味深いですね。
当時の人の信仰心が伝わってきます。
また、ゴミ捨て穴からは、まだ使える食器が大量に捨てられていました。
これは、疫病の蔓延を防ぐための予防対策の一環だったと考えられています。
さらに、平城京では人面墨書土器による祭祀も流行しました。
これは、墨で人の顔が描かれた土器の中に息を吹き入れて水に流す祭祀ですが、この土器は平城宮内からはほとんど出土せず、平城京の下級官人や商人などが多く住んだエリアでたくさん出土することから、一般庶民の間で流行した疫病対策だったと考えられています。
えー、食器捨てちゃうの?もったいない!
疫病流行と政治的影響
疫病の大流行は、聖武天皇の政治にも大きな影響を与えたんですね。
公開日:2023/10/13
✅ 聖武天皇の治世は、人災と天災が相次ぎ、都の遷都や大仏建立など、国家的なプロジェクトが立て続けに行われました。
✅ 東大寺大仏の建立は、聖武天皇が頻発する災害を鎮めようと、仏様にすがる気持ちから発案されたものです。
✅ 聖武天皇は、大仏の完成を見ることなく、出家・譲位し、その後、鑑真の来日など、様々な出来事に見舞われました。
さらに読む ⇒ BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)出典/画像元: https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2023/10/13/73549聖武天皇の治世は、様々な困難に見舞われた時代だったんですね。
さらに、この疫病の大流行は、聖武天皇に遷都を決意させ、大仏建立へとつながったと言われています。
聖武天皇って、めっちゃ偉い人だったんやろ?
人々によるさまざまな疫病対策
様々な対策が講じられたんですね。
✅ 奈良時代、天然痘が流行し、聖武天皇は疫病退散を祈願するため、大宰府の天神地祇に奉幣、寺では金剛般若経の読経、病者への賑恤、道饗祭などの対策を実施しました。
✅ 天然痘の流行は、大陸や朝鮮半島からの伝来が疑われ、新羅の使節や遣唐使が感染源だった可能性も指摘されています。
✅ 吉野離宮への行幸の際、天然痘退散を祈願する呪符木簡が出土しており、この年にも天然痘が流行していた可能性が高いと考えられています。
さらに読む ⇒奈良歴史漫歩出典/画像元: https://awonitan.hatenablog.com/entry/2020/05/01/109_%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%84%B6%E7%97%98%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C当時の疫病対策は、現代でも参考になるものが多いですね。
平城京の人々は、感染の予防、新たな治療法の模索、神仏への祈り、死者への哀悼など、さまざまな方法でこの疫病に立ち向かいました。
平城京二条大路濠状土坑から出土した呪符木簡には、「唐鬼」という文字が記されており、これは中国で天然痘の原因と考えられていた「瘧鬼」を指すと考えられています。
また、ゴミ捨て穴からは、人の形をした木製の人形や土で作った焼きものである土馬などが出土しており、これらは自分の身代わりとして穢れや病気をうつしたと考えられています。
昔の人の知恵って、現代でも役に立つわよ。
奈良時代の天然痘は、人々の生活や社会、政治に大きな影響を与えたことが分かりました。
💡 奈良時代には、天然痘が流行し、人々は様々な対策を講じていました。
💡 天然痘の流行は、聖武天皇の政治にも影響を与え、東大寺の大仏建立へとつながりました。
💡 現代でも、過去の疫病の教訓を学ぶことは重要です。