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ダンプ松本のヒール転向と、その後の女子プロレス界への影響とは?極悪同盟、ヒールレスラー、ダンプ松本

金髪、ペイント、凶器…悪役レスラー・ダンプ松本の壮絶な半生! 落ちこぼれから極悪同盟を結成し、女子プロレス界を席巻。嫌われ役に徹し、脅迫にも屈せず、観客を熱狂させた。引退、芸能界転身、そしてプロレスへの揺るぎない愛。ジャガー横田との絆、そして、今もなお輝き続けるレジェンドの軌跡を描く、衝撃と感動のノンフィクション!

ダンプ松本のヒール転向と、その後の女子プロレス界への影響とは?極悪同盟、ヒールレスラー、ダンプ松本

📘 この記事で分かる事!

💡 ダンプ松本は、クラッシュギャルズに対抗するため、極悪同盟を結成し、ヒールユニットとして女子プロレス界を席巻しました。

💡 ダンプ松本は、容赦ない反則攻撃や派手なメイクで観客を敵に回し、ヒールとしての地位を確立し、女子プロレス人気を牽引しました。

💡 引退後、ダンプ松本は芸能界に進出し、桃色豚隊を結成。現在も女子プロレス界に影響を与え続けています。

それでは、ダンプ松本のプロレスラーとしての歩み、そしてヒールとしての活躍を、詳しく見ていきましょう。

ダンプ松本のデビューとヒールへの転身

ダンプ松本は全日本女子プロレスでどんな道を歩んだ?

落ちこぼれから極悪同盟のリーダーへ

ダンプ松本選手がヒールに転向する前と後のギャップが、プロレスファンを魅了しましたね。

クラッシュ・ギャルズ極悪同盟】長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本、ブル中野…当事者たちが明かした゛最凶の抗争゛年目の真実
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✅ クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争は、1984年から始まり、女子プロレスブームを牽引した。

✅ ダンプ松本率いる極悪同盟は、クラッシュ・ギャルズに対抗するため、凶器を用いた反則攻撃など、史上゛最凶゛と呼ばれるヒールユニットとして活動した。

✅ ダンプ松本は、極悪の掟を徹底し、ブル中野もダンプの影響を受け、ヒール役に徹した。クラッシュ・ギャルズにとって、極悪同盟との抗争は、プロレスの歴史において欠かせないものとなっている。

さらに読む ⇒ポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20240525_1964865.html?DETAIL

ダンプ松本選手のデビューからヒール転向までの経緯、そして当時の女子プロレス界の状況がよく分かりますね。

クラッシュギャルズという永遠のライバルがいたことも重要です。

1980年、ダンプ松本(当時松本香)と長与千種は全日本女子プロレスに入門しました。

長与は特別入門でしたが、松本はプロテストに落ち、2リーグ制導入による選手不足から再度プロテストを受け、8月8日にデビューしました。

当初、二人とも落ちこぼれのB班に所属し、厳しい練習と連日の前座試合に励みました。

しかし、2リーグ制は失敗に終わり、ジャッキー佐藤などの引退により女子プロレスブームはさらに低迷していきました。

その後、松本はデビル軍団に所属しますが、ヒールとしての役割を果たせず燻っていました。

一方、長与はライオネス飛鳥とのタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成し、人気を博します。

クラッシュギャルズの活躍を受け、全日本女子プロレスは新たなヒールユニット結成を計画し、ダンプ松本はフロントからその中心となるよう命じられました。

ヒールとして生きようと決意したダンプは、髪を金色に染め、顔にペイントを施すなど、外見をガラリと変え、クレーン・ユウと共に「極悪同盟」を結成しました

容赦ない反則攻撃でファンを敵に回し、ヒールとしての地位を確立しました。

えー、めっちゃ面白い!ダンプさん、最初は普通の選手やったんや!ギャップ萌えってやつ?

極悪同盟とヒールとしての成功

ダンプ松本はどんなヒールスタイルで人気を得た?

怖く見せる計算だった

ヒールという存在が、プロレス界を盛り上げる上で不可欠だったことが理解できますね。

極悪同盟クラッシュギャルズダンプ松本と長与千種、愛憎の関係–伊賀プロレス通信時

公開日:2024/09/22

極悪同盟クラッシュギャルズダンプ松本と長与千種、愛憎の関係–伊賀プロレス通信時

✅ 1980年に全日本女子プロレスに入門した松本香(後のダンプ松本)と長与千種は、当初は落ちこぼれ扱いされ、観客からの支持も得られませんでした。

✅ しかし、長与は飛鳥とのタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成し、男子プロレスのエッセンスを取り入れたファイトスタイルで人気を獲得、女子プロレス人気を復活させました。

✅ 一方、松本はクラッシュギャルズに対抗するヒールユニット「極悪同盟」を結成し、容赦ない反則攻撃で観客から嫌悪感を抱かれる存在となりました。

さらに読む ⇒伊賀プロレス通信時出典/画像元: https://igapro24.com/2021/11/16/historia-41/

ダンプ松本さんのヒールとしての生き方は、すごいですね。

嫌われることを恐れず、逆にそれを利用して人気を得ていたというのは、ある意味、尊敬します。

ダンプ松本は、派手なメイクや革ジャンを身につけ、凶器を用いるなど、当時としては異質なヒールスタイルを確立しました。

見た目を怖くすることでファンを怖がらせ、嫌われることで人気を得ようという計算だったそうです。

極悪同盟は、全盛期のクラッシュ・ギャルズと死闘を繰り広げ、ダンプは反則や凶器の使用を駆使し、観客を熱狂させました。

そのヒールぶりは、当時のファンから強烈な印象を与え、ダンプは「日本で一番嫌われていた」と語るほどでした。

実際に、ダンプはゴキブリ入りケーキやカミソリだらけの手紙などの脅迫を受けたり、新車や自転車が傷つけられたり、タクシーの乗車拒否を経験するなど、日常生活でも嫌がらせを受けました。

しかし、ダンプはこれらの嫌がらせを「嫌われることはトップヒールを目指す以上、それだけうれしかった」と受け止め、ヒールとしての道を突き進みました。

いやー、オレも嫌われるのには慣れっこっすよ!だって、カッコよすぎるから、妬まれるんすよね!

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