ダンプ松本のヒール転向と、その後の女子プロレス界への影響とは?極悪同盟、ヒールレスラー、ダンプ松本
金髪、ペイント、凶器…悪役レスラー・ダンプ松本の壮絶な半生! 落ちこぼれから極悪同盟を結成し、女子プロレス界を席巻。嫌われ役に徹し、脅迫にも屈せず、観客を熱狂させた。引退、芸能界転身、そしてプロレスへの揺るぎない愛。ジャガー横田との絆、そして、今もなお輝き続けるレジェンドの軌跡を描く、衝撃と感動のノンフィクション!
ダンプ松本の引退
ダンプ松本の引退理由は何だった?
会社への不満と家族への想い
引退の背景には様々な要因があったのですね。
全女に対する不満や、家族への想いなど、複雑な心境が伝わってきます。
公開日:2024/10/04

✅ ダンプ松本さんは、全日本女子プロレスにおける待遇改善が進まず、ヒール役としての危険性、そして芸能事務所移籍の話が進むなど、複雑な背景から1988年に引退しました。
✅ 引退発表は、会社に無断で記者会見という形で、ダンプ松本さんの全日本女子プロレスに対する不満が爆発した形となりました。
✅ 家族への感謝の気持ちからプロレスラーになったダンプ松本さんは、27歳の時に母親へのプレゼントとして家を買い与え、家族を大切にする思いが伝わります。
さらに読む ⇒気になる情報出典/画像元: https://oceansideb.com/reason-for-dump-matsumotos-retirement/ダンプ松本さんの引退は、ファンにとって寂しい出来事だったでしょうね。
しかし、その決断には、様々な葛藤があったことが分かります。
1988年、ダンプ松本は惜しまれつつ現役を引退しました。
引退の背景には、全日本女子プロレス(全女)への不満、仲間との別れ、そして家族への想いが複雑に絡み合っていたようです。
全女では、売上は数十億円にもかかわらず、選手たちのギャランティーや待遇は改善されず、ダンプ松本は「会社の人間が嫌で仕方がなかった」と語っています。
また、ヒールとしての活動が家族に危険を及ぼす可能性も、引退を考える要因の一つだったようです。
1988年1月4日、ダンプ松本は後楽園ホールでの試合後、会社に無断で引退を発表しました。
これは、前年から引退を希望していたものの、会社の売上減少を恐れて認められなかったため、決断した行動でした。
同期の大森ゆかりも歩調を合わせ、10日後に引退を発表し、2人は引退記念大会を行うことになりました。
当初はライオネス飛鳥も一緒に引退し、3人で芸能界に進出する計画がありましたが、飛鳥が「赤いベルトを巻いていないから引退できない」と涙ながらに謝ってきたため、この計画は幻に終わりました。
まあ、人間誰だって、色んなことあるもんだよ。でも、家族を想う気持ちは、いつの時代も変わらないもんじゃ。
引退試合と芸能界への転身
ダンプ松本はなぜ引退を決意したの?
様々な想いを抱えて
女子プロレス界は、常に変化し続けているのですね。
選手たちの活躍が、当時の女子プロレスを盛り上げていたことが分かります。

✅ 1985年から1986年にかけて、長与は怪我で欠場し、新団体ジャパン女子プロレスが設立、ジャガーは引退。クラッシュ・ギャルズはアメリカで活躍し、極悪同盟は「ザ・ジャパニーズ・デビルズ」と呼ばれ、WWWA世界タッグ王座奪回、長与はオールパシフィック王者に。飛鳥は芸能活動からの撤退を宣言。大森は「ジャパングランプリ」で初優勝。ダンプ&ブルがWWWA世界タッグ王座を獲得し、大森はWWWA世界シングル王座初戴冠を果たしました。
✅ 1986年後半には、長与とダンプの敗者髪切りデスマッチ再戦で、長与が雪辱を果たし、ダンプが丸坊主になりました。クラッシュは再合体し、健在をアピール。飛鳥は大森にWWWA世界シングル王座に挑戦しますが、王者が防衛に成功。長与がオールパシフィック王座を奪回。ダンプとブルは「ジャパングランプリ」で無効試合。飛鳥と長与のクラッシュ対決で飛鳥が初勝利。長与は「ジャパングランプリ」で初優勝を果たしました。
✅ 1985年から1987年にかけて、女子プロレス界では、新団体の設立、選手の引退、海外での活躍、タイトルの奪取と防衛、そして選手同士の激しい戦いを繰り広げ、常に変化と進化をみせていました。特に、長与とダンプ、クラッシュ・ギャルズ、そして大森などの選手たちの活躍が注目を集め、当時の女子プロレス界を盛り上げていました。
さらに読む ⇒ニュース出典/画像元: https://news.yahoo.co.jp/articles/9643a979cd07d81805e32ffb64aff480f195e892ダンプ松本選手と長与千種選手の最後のタッグは感動的でしたね。
プロレスラーとしての生き様を感じます。
1988年2月25日に行われた引退試合は、ダンプ松本と大森ゆかりのタッグ対クラッシュギャルズという、激闘の末、4人全員流血する壮絶な展開に。
試合後、ダンプ松本はマイクを握り、長与千種に「今日で終わりだ。
長与、来い!このままで終わっていいのか?」と呼びかけ、急遽タッグを組むことになりました。
かつて激しい戦いを繰り広げた2人が最後の最後に組むという、感動的な展開に会場は包まれました。
引退後、ダンプ松本は大森ゆかりと共に芸能界へ転身し、「桃色豚隊」を結成。
プロレスラーとしてのイメージとはまた違った、コミカルな一面を見せました。
しかし、プロレスへの想いは断ち切れず、2003年には現役復帰を果たしました。
ダンプ松本は、全女への不満、仲間との別れ、家族への想い、そしてプロレスへの情熱など、様々な想いを抱えながら引退を決意したようです。
引退試合での涙の謝罪からも、ファンへの感謝の気持ちとプロレスへの強い愛情を感じることができます。
えー、泣ける!めっちゃエモいやん!ダンプさん、最高!
ジャガー横田との関係
ジャガー横田とダンプ松本、二人の関係は?
尊敬と絆
ジャガー横田さんとダンプ松本さんの関係は、女子プロレス界において非常に重要なものですね。

✅ 来年2月12日に開催される45歳以上の選手限定の興行「R45~ババアをなめんなよ!~」の出場メンバーが決定し、18選手のトーナメントで真の女帝ババアが決定される。
✅ トーナメントはA、B、Cの3ブロックに分かれており、各ブロックの代表が決勝で対戦する。
✅ 各ブロックには、ダンプ松本とジャガー横田の123歳対決や、尾崎魔弓とミス・モンゴルのハードコアマッチなど、ベテラン同士の熱い戦いが予定されている。
さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://www.daily.co.jp/ring/2022/12/15/0015894089.shtml2人の関係は、先輩後輩であり、お互いをリスペクトし合っているという、素敵な関係性ですよね。
ジャガー横田さんとダンプ松本さんは、ともに女子プロレス界のレジェンドとして活躍し、現在も現役で活躍しています。
2人の対戦成績は、2023年2月の「R45~ババアをなめんなよ!」での試合でジャガー横田さんが勝利しました。
2人の仲は、ダンプ松本さんがジャガー横田さんを尊敬する先輩として仰いでおり、ジャガー横田さんもダンプ松本さんの存在を意識しているようです。
2人の関係は、先輩後輩であり、年齢はダンプ松本さんが1つ年上ですが、デビューはジャガー横田さんが早いです。
ジャガー横田さんは、ダンプ松本さんが芸能界の仕事をすることに最初は良く思っていなかったとのことですが、現在はお互いをリスペクトし合っているようです。
2人のエピソードとして、ダンプ松本さんが還暦大会で引退について聞かれた際に、ジャガー横田さんが引退しない限り自分も引退しないと言ったことが挙げられます。
これは、ダンプ松本さんがジャガー横田さんを目標として、その背中を追いかけてきたことを示しており、2人の強い絆を感じさせます。
いやー、ダンプさん、ジャガーさんのこと、めっちゃ尊敬してるんすね!オレも見習わんと!
ダンプ松本選手のヒールとしての生き様、そして女子プロレス界への貢献は、本当に素晴らしいですね。
💡 ダンプ松本はヒールとしての活動を通して、女子プロレス界に大きな影響を与えました。
💡 引退後も芸能界で活躍し、その存在は女子プロレス界に深く刻まれています。
💡 ジャガー横田との関係性からも、彼女が女子プロレス界に与えた影響が感じられます。